葬儀しきたりの由来説明
現行の葬儀しきたりは、仏教の教えという決まったものではありません。
   民族風習など複雑にからみあって現在のいわれやしきたりに至ります。   
1  枕飾り 11  四十九の餅     21  石で釘を打つ 
2  北枕     12  友引 22  出棺
3  末期の水 13  賽の河原 23  あとはらい
4  湯灌 14  香奠と香典 24  日常の逆習慣 
5  守り刀 15  三途の川  25  龍頭
6  四華 16  七七日 26  白装束・三角紙
7  枕飯 17  六道銭 27  告人は二人の訳  
8  まくら団子 18  忌と喪 28  蓮華の話し
9  一本花 19  花かご 29
10  清めの塩 20  善の綱 30


1 枕 飾

 納棺(のうかん)するまでの遺体は、北枕といって、頭を北にして座敷に安置します。布団は薄い掛け布団に敷き布団、敷布には白の敷布を用います。掛け布団は上下逆さにして掛け、掛け布団の上には守り刀を置きます(用いない宗派もあります)。北枕に寝かせて屏風が立てられると次に故人の枕飾りをします。まず白木の台を置きます。小さな机で代用する場合には白い布をかけます。その上に花立ての一本花、線香立て、守り刀、枕団子ローソク台、及び浄水、枕団子、四華を供えます。ローソクの光は仏の光明を意味し、冥途への道を明るく照らし出す為といわれます。線香は悪臭を消すということと「香食」といって死後の食物の意味があります。そして枕屏風をさかさまにして立て、神棚に白紙を張ります。(この白紙は四十九日がすんだら主人がこれをとりはずして主人自ら川に流します。)

枕飾り後、お寺さんに連絡して枕経をあげてもらいます。枕経の時には俗名で読経を勤めます。

2 北 枕

 北枕は、お釈迦さまが入滅された時頭を北にして顔を西に向けて涅槃に入られた姿を形どったものであります。インドでは北を上位として尊客の席とします。儒教でも「王者南面・臣下北面」という思想があり、以来寺院では、北から南に向いて座ることを南面といって説法位とするのです。
 皇室には「北枕」のしきたりはなく、宮内省編集の「明治天皇紀」の記述によると、明治天皇のご遺体は頭を南にした「南枕」であったというが、上記の理由なのでしょうか。イスラム教では埋葬の際は、イスラム教の聖地に頭を向けて埋葬するといわれ、キリスト教の埋葬では普通、頭を西、足は東といわれます。遺体をどちらに向けて寝かせるか、埋葬するかについては宗教や風習によって様々のようです。
 納棺するまでの間、遺体を寝かせておきますが遺体をなるべく暖めないようにする為、掛布団は薄いものを用います。顔は白い布でおおい両手を胸のあたりで合掌させ手に数珠を持たせます。その寝かせ方は北枕にします。このように寝かせ直すので枕直し(まくらなおし)ともいいます。
 北枕は縁起が悪いと言われますが、このようなところの連想によるものでしょう。けれども、これはお釈迦さまがクシナガララのサ−ラ林で、北向きに、そして獅子のごとく右側臥し、顔を西に向け、右手を顎につけて涅槃に入られた形でありますから縁起はよいのです。インドで教養ある人は、北枕に西面、右側臥であるといいます。又、腹臥は餓鬼寝、仰臥は阿修羅、左側臥は貧窮人の臥相ともいわれますから、自然で安楽な臥相なのであります。私は幼児の時から今に至るまで北枕です。

3 末後の水

 末後の水の由来については、釈尊が入滅の直前に水を求められた故事によります。お釈迦さまはクシナガラ村のサーラの林でたおれられました。釈尊は自分の命が長くないことを悟っておられました。釈尊は苦痛に耐えながら弟子の阿難に喉の渇きを訴え水を所望されました。しかし、その河野は上流で多くの車が通過して濁っていました。それでも釈尊は三度求められたので阿難は河岸に立ったのです。すると不思議なことに、川の水が澄み阿難さまは手にした鉢に浄水を汲むことができました。ふと我にかえって阿難さまがみあげると、鬼神の後姿が雲の中に消えていくのがみられたのです。この鬼神はヒマラヤの守護神で、お釈迦さまの危篤をしって八つの功徳水を持って来てくだされたのです。お釈迦さまは、この甘露水をのんで満足して瞑目された。これが「大般涅槃経」や「長阿含経」に由来する「末期の水」です。
 死の前には身体が熱して水を要求する状態になるといわれます。けれども、それが思うように飲めないのです。それで脱脂綿(或いはしきみの葉)に水をふくませてくちびるをぬらしてあげるのですが、習俗での「末期の水」は死水ともいい浄化儀礼的な意味も含まれているようです。新しい割り箸の先に脱脂綿やガーゼを巻いて白糸でしばって作ります。

4 守り刀

 北枕に寝かした遺体のフトンの上に守り刀を置く。守り刀は武士の死者にはその枕頭に刀を置いた名残ともいわれますが、一般には遺体の死臭をかいでそれをねらう悪鬼を防ぐ為に昔から死者があの世にゆくとき、魔除けとして刀を遺体の胸の土に置くという風習が行なわれているのです。
 守り刀は、現今では葬儀社の専用小刀となりましたが、昔は普段使っている鎌が使われ、埋葬後はその鎌をお墓の魔除けとしていました。刃先を遺体の顔の方向にむけないようにします。

5 湯灌(ゆかん)

 遣体を棺に納める前に、遺体を湯水で拭き清めるのが湯灌です。病院ではアルコール等の消毒薬をしみ込ませたガーゼで拭くのが通常のようです。自宅での湯灌は形式となって額と手足を拭くぐらいです。敷き布団は一枚、新しいシーツに寝かせます。掛け布団は天地逆にする場合もあります。目と口を閉じ、姿勢を整え、男性なら髭を剃り、情勢ならば薄化粧をします。病み疲れて、ほおがこけているような時には、ふくみ綿をします。遺体を清めたら衣装を整えますが、手っ甲と脚絆等は納棺の時につけます。手は胸の上で組ませ、数珠をかけます。こうした一連の内容を行なう為に本来はごく近親者だけで行ないます。
 亡くなった人が冷めたくないようにと適温にするのは身内のおもいやりですが、湯灌に使う水の汲み方や使った水の捨て方にも作法があります。まずタライに水を入れておいて、そこに湯をそそぐ(さかさ水)の習俗があります。また、使い終った湯は台所には捨てずに、床の下や日陰に流し、これに用いたサラシや手拭は人の見えないところに捨てるのです。こうした作法は日常の作法と全く逆の方法で行なわれます

6 四 華(しか)

 白紙にて柳の葉のようにつくる紙華(四華)は、中国において離別の時、柳の枝を折り、去り行く人のたもとに入れる習慣があるので紙華を供するのは逝焉を送る意味があります。
 四華の白紙の由来は、お釈迦さまが涅槃に入られる時に沙羅双樹が白色に変じたという沙羅双樹林になぞらえています。ひいては死者が涅槃に入る清浄の境界を象徴していますので、金紙とか銀紙の四華もあるようですが、本義からいえば白紙の四華が正しいでしょう。。

7 枕 飯(まくらめし・まくらえ)

 昔は平常雑穀を食べていたので、冥途の旅立ちに白飯を山盛りにしてごちそうしたのが枕めしです。米は使う茶碗にすり切りに量り炊いただけ残さずに盛り切ります。枕飯の茶ワンは生前使用していたものを用います。その枕飯の盛り方は大高盛といい、一杯で中味は二杯分あるように盛りあげるのです。このご飯に生前使用していた箸を二本立てます。昔は二本立てたものですが、近年は枕飯の飾りが付いている為もあるのでしょうか、箸を一本横にさし飾り止めとし十文字に立てます。箸をたてるのは「火」をあらわし、横は「水」をあらわすともいいますので、「火と水」によって清浄にしようとの作法とも考えられます。又、枕めしとは、炊いただけ盛り切り、他の人には差しあげないというしるしに箸をたてる古代人の縁切り法ともいわれます。当地では行いませんが、生前の茶碗を割るという作法もあるようです。これも決別を死者に悟らせる風習といえましょう。
 枕飯は人が亡くなってただちに炊くところもあれば、通夜の時に炊くところもあるようです。当地では葬儀当日の朝に用意します。炊き方は、通常の台所のカマドは使わず屋外に簡単なカマドを作ります。燃やす材料ですが、昔は棺や龕台、四華などの飾りを作ったクズ材料を使用したものです。米は(昔は玄米)とがずに半煮えで炊き、茶碗に山盛りにして箸を立てるのです。よく考えると、とがない米の半煮えでは間違いなくまずいものになります。このことは、振り米や散米などのように米に呪術的な意味があり通常の如く丁寧に洗って柔らかく炊くとその力が減じられるとしたのでありましょうか。
 しかし、現今では普通に炊いたご飯の中から一番初めに盛りつけをしているという実状になっているようです。

8 まくら団子

 お釈迦さまがお腹をいためて沙羅林におやすみになった時、食物がのどを通らなくなったので、弟子たちが消化のよい食べ物にしてあげたいと思って、食物をよくすって、丸めて団子にし枕もとへ置いてあげました。今なら流動食というところでしょう。しかしそれは、遂に一つも召しあがらないで、おかくれになったので、枕もとへお団子が残りました。それを型どって団子が最後のお供えものになったのです。当地のまくら団子には決まった数はありませんが、葬儀の時の団子の数は「49個の団子」といって、49個と、かさ団子といって少し大きめの団子をすこしつぶして6個添えます。この団子は霊供の六道餅と同様の意味であろうと思います。
 そして、供えるときには対になるように盛りつけますが、枕団子には粉(片栗粉)を付けずに供え、葬儀後の供養からは、片栗粉で仕上げた団子を供えます。なかなか几帳面な作法ですがその風習のいわれはわかりません。
 全国的には枕団子が11箇であったり、13箇であったり、四四の16個であったりします。4と死の相通からきているものと思われます。13箇は13仏信仰からのものでしょう。このように、団子や餅、枕飯の風習は結界と霊供が複雑に混合されて、各地の伝承もまちまちになっています。

9 一本華

 葬儀の際、一本華または一色花を供える慣習があります。お釈迦さまが入滅される時に、お釈迦さまの十大弟子の一人であった大迦葉(だいかしょう)は遠く離れた処にいて、そこで一本の花を持った人に出会い、彼からお釈迦さまの入滅を知らされ、この花は彼の処より得来たったものだと語られたことによるといいます。又、入滅の時、沙羅樹の長い枝が垂れ下った因縁から来ているともいわれます。その為に木の真でなく枝を折ってたてるのです。一本華にしきみを用いる地方においては一本しきみともいいます。平常の献花は真を立てますが、葬式の一本華は涅槃の意を表して枝を一本だけ立てます。当地では「一本華」といって白い菊の花を一本立てます。

10 浄めの塩

 葬場より帰った時には塩を体にふりかけてオケに入った水で手を洗う「きよめ」の習慣があります。
浄めの仕方は地方によってまちまちですが一般的なやり方は玄関先に水と塩を用意します。その水で手を浄め塩は体にふりかけて浄めるのです。又、塩をつまんでうしろ向きに投げる。その時うしろを見てはならないとする地方もあります。浄めの風習は当地でもありますが、都会でおこなわれている香典返しと一緒に渡す「お清めの塩」の風習は最近までなかったことであり不合理を感じてます。人の死を不浄と考えるのは死にたいする恐怖から出るのでしょうが、そうゆう考えのために、近年の火葬場建設は必ず反対運動が起こり、尚、煙も出ない無煙火葬場となっています。昔の火葬場は煙突から出る煙を見て、「天にのぼっていったわ」と感慨にふけったものでありました。
 浄めに塩が用いられるのは仏教神道だけでなく広く払浄儀礼として行なわれており、祭の祭場、神棚かまど、井戸の浄めにも用いられます。仏典に「若し屍に触るる者は衣を連ね倶に洗え、その触れざる者は但手足を洗え」と記されておるようですが、これは死者が穢れているというのではなく、インドのガンジス河では毎日の沐浴が生活の一部になっていますし、我が国の禊ぎというのは川に入ったり水をかぶって身を清めます。どれも身を清める「行」の名残ととらえています。昔は埋葬後に家にもどって来る時に、一番重要な食料調製器である臼をさかさにしてその上にタライの水や塩を置いたりしていました。これは仏教の教えというのではなく、古来からの浄めの意味と死霊が立ちもどり依りつくのを防ぐというような意味からの葬送風習と考えられます。

 お葬式の時には、どこの家でも神棚に白い紙を貼って神殿の扉を閉じてしまいます。昔(80年ぐらい前まで)は嫁が母屋で子供を産むことを許されず、納屋の部屋でお産をしたという話も伝わっています。今となっては信じられない話ではありますが、お産を赤不浄、葬儀は黒不浄と言って忌み嫌っての神道的慣習だったように思われます。
 しかし、仏教では死体を「不浄」なものとは示しておりません。お釈迦さまゆかりの地、霊鷲山はゾロアスタ−教の鳥葬墓地の跡地であるともいわれており、釈尊や弟子たちの着衣はその墓地に棄てられている布を用いたとされます。現代のお袈裟や絡子も小さく刻まれて縫い合わせてあり、田圃のようにも見えるところから「福田衣」(ふくでんえ)と称されています。

11 四十九日の餅

 七七日の中陰明けには四十九箇の餅をつきお供えします。十王経では死後の中有(中陰のこと)には七日七日ごとに冥界王の罪業を裁断をうけ次の生の生まれる処を定められるのだと説かれています。それで決まらない悪業障の霊は百日間苦界に堕して苦行を受ける。それでも決まらない者は一ケ年というように延長されるというのです。この為に七日七日ごとに菩提をとむらい一本づつ塔婆をたてての七本塔婆供養が行なわれるのであります。新亡霊の来世によりよい果報があたえられるように追善供養をし、そして四十九日には餅を供えて中陰明けをするという意味があるのです。日本人は餅は晴れの日の食物、神仏のたべられる食物という考えがありますから餅で生れ、餅で結婚し、死んで餅で成仏するというのです。この四十九日の餅は自他に残さぬ習慣で全部お寺に供えます。それは菩提寺で最後は成仏させて貰うという願いからでしょう。
 又、五十の餅をつき、ひとつの餅を兄弟同志で手で引きちぎっていただく引っ張り餅のならわしがありますが、これは親しい者だけで行ない、そうすることによって成仏往生を願う食い別れであります。引っ張り餅はほかに、マスの底で切るとか鍋のフタにのせて切る方法もとられ、食べ方は何もつけなかったり塩、ミソをつける方法や、餅をついた当日に焼いて会べるなどされ、これらの方法は日常忌みきらわれます。

12 友 引

 葬儀の日取りが友引にあたるようであれば前後に日をずらし調節をして、友引の日には全国的に葬式はしません。友引のその由来としては六曜性(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤日)のひとつで本来は「相打ち共引きとて、勝負なし」という意味があります。これが俗信としてその文字のあらわすとおり、この日に葬式を出すと「友を死に誘う、死に引く」「友曳方」というように死忌と混同されてしまったようです。同様の葬式の忌日(いみび)は、申(さる)の日、寅の日、丑の日などがあります。申の日は「去る」の音を通じていることが一因であるとも云われ、同様に寅の日は、虎は一夜に千里走り一夜で千里帰るといわれるところから死者が後がえりをするという連想から忌まれます。丑の日は牛に引かれて善光寺といいますが、牛が死の友を引いてはという案じからであるといわれます。これらは全て本来の意味からはなれて音が類以する忌を持つ内容を連想させるゆえに忌日となっていると思われます。
 どうしてもその日に葬式を行わなければならない時には、棺の中に死者の代わりとなるワラで作られた人形を入れる風習もあります。六曜は仏教と関係はありませんが、縁起をかつぐ風習は根強いものがあります。

[六曜性の吉凶]

※現行の六曜は室町時代に中国より移入されたもので、日の吉凶を占うものでありますが仏教の教えではありません。仏教的には迷信であるということになります。また、暦に関することで「丙午」があります。この迷信によっていかに多くの女性が苦しんできたことかは人口統計を見ればわかることです。インタ−ネットでも占いは大流行でありますが、非科学的な迷信やしきたりに染まることによって偏見や差別意識を持つようになることも多くの事例が証明しています。六曜の占いを頼る心持ちはわかりますが、「日」や「方角」にそのものに吉凶などはないはずなのです。曹洞宗では一日一日を新たな気持ちで生きていく「日々是好日」を教えしていますので、六曜はいずれ破棄しなければならない迷信としていますが、参考の為に記載します。

先勝(せんかち)午前吉、午後凶。祝いごとは午前中から始めれば吉。
友引(ともびき)午前と午後は吉。正午は凶。だが祝い事には好適、葬式を忌む
先負(せんまけ)午前凶、午後吉。祝いごとは正午以降に始めること
仏滅(ぶつめつ)かつては「物滅」この日何事も遠慮するほうがよい仏事はよい
大安(だいあん)一日中吉。移転、婚礼、普請、旅行等すべて吉
赤口(じゃっこう)新規の事始め凶。正午のみ吉、午前と午後凶、祝いごとは、正午をはさんで行えばよい

13 賽の河原

 三途の川のほとりにある。と信じられている河原のことを賽の河原といい、親より先立つ罪深い子供が、苦を受ける場所とされています。何とかして善い功徳を積む為に、この世で死んだ子が石を積んで塔を作ろうとすると、その功徳を積ませまいとして地獄の鬼がやってきて鉄棒で突きくずしてしまう、何度やってもくずされてしまう為に、とうとう子供が泣き叫ぷと、そこにやって来て子供を救ってくれるのが地蔵菩薩である。と賽の河原和讃に書かれでいます。
 青森の恐山、賽の河原には石を積みあげた塔が無数に積まれていますし、どこのお地蔵さまにも石塔が積まれるのはそんな故であります。

14 香 典

 もともと香典というのは、霊前に供えるお香代です。昔はお香を持参したのですが今は現金を包んで霊前に供えるようになりました。香奠、香典の二種類の字が使われていますが、本来用いられていた香奠は「香を供える」ことで「奠」とは「神仏に物を供える」意味です。現在多く使われる香典は「香を求める為の金銭」を意味します。
 葬儀に際して、故人に供養の気持を表わしたいと願うのは人情ですが、これは六種供養(華・香・水・飯食・燈明・塗香)に由来するものであり、かつては、さまざまな供物の中で香が最も多く用いられたようです。しかし、遺族側にしてみれば、香ばかり沢山集まってもかえって迷惑になりかねない。そこで必要な時期に香を買うのにあてて下さいという意味から、次第に金銭に代わってきたものと思われます。
 尚、仏式の場合、忌明け後の表書きは「御仏前」「御霊前(浄土真宗を除く)」が一般的です。

15 三途の川

 この世とあの世との中間にあると信じられている川を三途の川と呼び、人が死んでから、はじめての七日目(初七日)に渡るといわれています。この流れには激流、急流、緩流の三つの瀬があり、生前になした行為の善悪によって、どの流れを渡るのかが決定されるといいます。それを決めるのが、川のほとりで死者の着ている着物を奪う奪衣婆(だつえば)と、それを衣領樹(えりょうじゆ)と呼ばれる罪の軽重をはかるための樹にかける懸衣翁(けんえおう)の二人であります。
 着物が樹にかけられると、その人の罪の重さに従って枝の垂れ方が異なるので、それによって三つの流れのどれを渡るかを定めるというのです。棺の中の死者に「涙をこぼすなよ」と言われるのをよく聞きますが、自分を見失ってしまう程に、死者に対して悔いを残して涙をこぼすようであるならば、三途の川の水が増えて、死者が渡りにくくなるからなのでしょう。
賽の河原三途の川のほとりにある。と信じられている河原のことを賽の河原といい、親より先立つ罪深い子供が、苦を受ける場所とされています。何とかして善い功徳を積む為に、この世で死んだ子が石を積んで塔を作ろうとすると、その功徳を積ませまいとして地獄の鬼がやってきて鉄棒で突きくずしてしまう、何度やってもくずされてしまう為に、とうとう子供が泣き叫ぷと、そこにやって来て子供を救ってくれるのが地蔵菩薩である。と賽の河原和讃に書かれでいます。
青森の恐山、賽の河原には石を積みあげた塔が無数に積まれていますし、どこのお地蔵さまにも石塔が積まれるのはそんな故であります。
 死後に魂が河を渡るとするのは、仏教では三途の川、ギリシャではステユク川、ゾロアスター教では、舟の変わりにチンワトの橋を渡り、イスラム教では復活の後、溶鉱の川を渡るという。古代の文明地では不思議と共通するものであります。

16 七七日(49日)

 死亡の日から数えて七日目が初七日、次の日から七日目が二七日となり(十四日目)三七日(二十一日目)四七日(二十八日目)となり、七七日が四十九日です。この四十九日間を中陰といい中有(ちゆうう)ともいいます。なぜ七日ごとに法事をするのかというと、この中陰の世界では七日七日ごとに死後の世界の裁判官である閻魔がやってきて生前の調査をし、それによって来世が決定されると言われます。そうなると誰しもよりよい来世を望みますので、何とか生前の悪業をかくそうとするのでしょうが、エンマの持っているエンマ帳にはすべての行為があますところなく記録されているので、絶対にウソをつくことができないことになっています。そこで遺された家族が、七日七日の追善供養をしてよりよい果報があたえられるようにという願いから、初七日より四十九日に至る法要になったという訳であります。
 ところで中陰が三ケ月にまたがるといけないという人がありますが、これは俗に三つきといって、新亡の身がつきて仏になれない・・・ようになっては大変だ、よりよい果報が早くあたえられるよう四十九日をまたずに忌明をしてあげるという心のあらわれでしょうが根拠のない話です。
 月のはじめに亡くなれば中陰はニケ月で終りますが、十日以後であれば、その人の中陰はどうしても三ケ月にまたがることはきまっています。ですから三ケ月にまたがるといけないというのはまったく無責任なまどわしです。
なお忌明は四十九日にするのが本儀ですが、三十五日に切りあげて行うこともあります。忌明けも葬儀時に行う向きもありますが、早く立ち直るのがいいことではありません。充分に死者を弔い、思うことが大切なのです。中陰中は精進を守って、死者の霊に対する思いやりを持ちたいものです。

17 六道銭

 俗説に、死者の頭陀袋の中に入れる六文銭は、三途の川の渡り賃といわれます。この六文銭も、紙で切り抜いた紙銭をもって代用するところがあります。この紙銭の由来は、中国での慣習として、故入が生前所有していた資産を残して死出の旅に出るので、思ひが残らぬようにという心使いから、紙に銭型を押したものを棺に入れたのが始まりのようです。また江戸時代に入って十王説が盛んになり、死者が罪を軽くしてもらう為紙銭をたくしたので寄庫銭(きこせん)ともいいます。
初めの頃は紙銭であったものが心情がこもって、後には実際の六文銭を入れるようになったのでしょう。
ところで穴あき一文銭を使うという伝承は江戸初期の寛永通宝以後のことです。そして渡し賃の六文だけでは渡りそこなった時に困るからというので、十文入れるようになり、こんなことから徳川幕府はついに諸寺に命じて、棺内に金銭を入れることを禁じたといわれます。かつ明治以後は寛永通宝が、なかなか手に入らなくなって、極楽通宝と書いた紙銭をもって代用したものと考えられます。
 ところで六文銭を六道銭ともいいます。六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つのことで、地獄は極苦の世界、餓鬼は飢渇で苦しむ世界、畜生は無知の世界、修羅は闘争にあけくれる世界、人間は苦楽相なかばする世界、天上は快楽の世界です。お地蔵さんはこの六道の中に自ら身をおいて、衆生の救済を誓願されている仏さまであり「六道能化のお地蔵さん」と呼ぷのはそのためです。
 穴あき一文銭を六枚、死者の首にかけて葬る風習は、この仏教の関与があります。つまり、六道の大地蔵さまに賽銭をたくし、地獄での苦痛を軽くさせようということでしょう。六文銭の代りに六個の米包(六道米)を供えるところもあります。当地方では団子を供える時、丸く作った他に六個だけは少しつぶして供えます。丸い団子は亡き仏に対して供えると共に、六個のつぷし団子は六文銭や六道米と同じく、六地蔵さまに供え、故人が極楽往生できるようにとの真心と願いがこめられているようです。

18 忌と喪


 忌とは身をつつしむという意味です。忌の期間は四十九日で、忌中と呼びこの期間は慶祝行事への参加はひかえます。喪とは喪服を着て故人の冥福を祈りつつしんだ生活をしている期間のことを意味します。
 わが国では昔から忌服の制度があり明冶七年に布告された「服忌令」によると、父母の死亡した場合の忌み日は五十日、服日は十三力月。夫の場合は三十日に十三力月。妻と嫡子の場合は二十日と三力月というように、忌服の期間が定められています。しかし、現在ではほとんど守られておりません。
 現状においては忌は初七日まで、服喪は四十九日の忌明までとし、死亡した日から数えて一年間は、祝事の主催はひかえ、年賀状は出さず、十二月初めに喪中につき年賀欠礼の挨拶状を出しておきます。又、正月の飾り、年始回りなどは遠慮し、神社へ参拝することもぴかえるのが一般的です。この一年間は、心身をつつしみ、できるだけ華美な俗事から遠ざかり、故人をとむらう心がまえでいたいものです。

19 花かご

 当地区ではあまり見かけませんが、近隣村落では現在も見受けられます。
竿の先に籠をつけ、中に種々の色紙の紙片や通貨を入れ、軒先か行列の途次に振散する。大般若会浄道場や観音懺法の時に用いる花皿の変化したものであり、今は真鍮金メッキの花皿を使うが古くは竹であったといわれる。釈尊が涅槃に入られるときに、諸天が天花、天宝を散じた故事による。

20 善 綱

 葬列がお墓、火葬場に向かうときに棺にに白布を結んで引くさらしの善綱は、仏像の開帳、入仏式、鐘供養の引き綱にも行なわれる。この綱を「善の綱」とか「縁の綱」というが、葬儀の場合にはその意味合いは異なる。祝いの時は紅白、葬式は白である。又、「善の綱」は一本のしっかりした綱であるが「縁の綱」は切れやすく作っている。
 「善の綱」の由来は、御堂関白物語には来迎仏の手から五色の糸線が垂れて、床の藤原道長の手に結ばれる場面があり、これをまねたもので、善根を積んで浄土にひきあげようという女の一念から、婦人が善綱を引く習慣といわれる。観音霊場のご開帳の時などは、本尊の御手から引かれた長い五色の綱が、外の角塔婆(回向柱)まで引いて結ぶ。この「善の綱」に触れることは御仏の御手に触れる行為であると信ぜられている。野辺送りの「善の綱」は遺族達で引きながら墓所に行くという風習である。
 「縁の綱」とは、出棺の時に棺に結び遺族で引いて送るのであるが、半戸前(自宅の出棺場所)で放してしまう。この「縁の綱」とよぶさらしの綱は、大変切れやすく作られるところから、縁切り作法としての習わしであろうと思われる。又、白布は妊婦が腹に巻
くと安産できるという信仰などから、白布そのものに再生の思想もあるようである。

21 石で釘を打つ

 近親者が最後の別れを告げたあと棺の蓋が閉じられ頭のほうから石で釘を打ちます。回数は二回打つのが一般的ですが確定しているものではありません。ところで石に超自然的な力、呪力が宿るとする信仰は古代より認められます。たとえば土葬の場合にふた石、又枕石と呼ばれ埋葬した土盛りの上に置かれる石は、山犬などの掘り返しを防ぐという実質的な意味と共に、霊の封じ込めという意味があるようです。

22 出 棺

 出棺のとき普通出入りする玄関口から出さずに、縁側などに萱や竹などで仮門を作り、棺をくぐらせる風習があります。仮門は葬列が出るとすぐに壊すことが多いが、これは死霊がふたたび立ち戻ることを恐れ、ふせぐ呪術と見られます。出棺時、或は葬場で棺を左回りに三回まわしたりするのは、仏教でいう高貴な人に対して最高の敬意を払う作法として自分の右肩が常にその人に面しているように右回りするという行道の作法が民間に習俗として変容したものといわれます。また、野辺の行列と埋葬後は違った道筋で帰らなければならないという民間習俗も、死霊の戻り来るのを防ぐ呪法と受け止められます。
 当地方では行なわれませんが、死者が生前使っていた茶ワンを仮門で割るという行為も前記の呪法と同様、霊魂が戻るのを防ぐ行為でしょう。

23 あとはらい

 出棺したあとすぐに座敷をワラぼうきで掃きだします。この時は(不浄を)取るとか貯めるとかを嫌って、チリ取りは使わず必ず外へ掃き出すことになっています。通常のほうきを使わないのは忌みがかからないようにとの配慮でありましょう。

24 日常の逆習慣


 葬儀には通常とは逆の「逆さごと」というものが行われます。例えば、死者の衣装は左前に着せる。帯の結びもこま結びを縦に結ぶ「縦結び」です。遣体と枕飾りとの間に立てる屏風を逆さまに立てる。又、掛け布団も(逆さ布団)といって裾を顔のほうにもってきます。この掛け布団は遣体をあたためないよう軽いものを使います。更に、湯濯に使う湯の用い方にもまず水をタライに入れておいてそこに湯をそそぐ(さかさ水)などの作法は日常とは全く逆の方法ですので通常はこのような逆作法は忌み嫌われます。
 ところで、焼香のときに左手でなさる方がおられますが、入棺通夜の時には前述のごとく日常の逆ととらえているのであれば一理あるのですが、本葬儀で引導香語の後に廻す焼香には、右手でするのが一般的です。焼香の作法は、左手に数珠を持ち手を合わせてから、まず右手で香をつまみ額にいただいて香炉にたき、さらに一回つまんで今度は額にいただかないでそのまま香炉にたくのが本来の作法です。
 出棺するときには仮門から出ますが、この時、履き物は家の中で履いてから外に出るため、日常は家の中で履き物を履いて出るなという風習になったものでしょう。又、日常赤飯には味噌をつけるなという風習がありますが、葬儀の昼食のおこわご飯(黒飯)が余ったときにはおにぎりにして味噌をつけたものが夜食に出るのです。先人の厄よけ的知恵ともいえます。出棺後に部屋を掃き浄め、葬儀壇を飾り直してから、あとはらいの清めを行なうしきたりがありますが、この時にカンをしない日本酒と梅千し等で、敷居をはさんでお酒を飲み合う、跡祓いの浄めのしきたりです。そのために普段は敷居をはさんで酒の飲みあいはするなという伝承となったのでしょう。
尚、この時用意した浄めの酒は残さないで飲むというならわしです。

25 龍頭 

 龍頭とは、当地では「シシガシラ」「シシバタ」といって、山から取ってきた2メートル位の木(ホケといわれる)或いは竹竿の先端に、龍の頭と胴にあたるものをつけ天蓋《笠に五色の紙(2センチ幅位)を付け下げる》をつり下げたものであります。  行列の先頭は大龍頭で、次の小龍頭に葬儀幡四本が続き、灯籠や他の持ち物が続くそして僧侶、喪主の位牌、遺体か遺骨、そして遺族と続きます。
 昔は(火葬の風習以前)は埋葬が終わると龍頭やホケ(長杖)を墓の上に立て石を載せ、天蓋をのせる風習があった。近隣の村では今でもある。これは悪霊を防ぐと共に野犬等から守るためでもあります。
 なぜ龍なのか?。龍は中国では王や神を表象する。インドやエジプトでは再生の神でもある。日本的民族風習としては、死者から離脱し浮遊している霊魂に天蓋をさしかけた。それは、荒魂を封じ込めるというものではなく、旅立つ死者の魂に、いたわりと哀惜、そしてもう一度生まれ変わってこいという念を込めての風習であろう。

26 白装束・三角紙

 湯灌が終わると、白木綿の白衣を着せる。旧来は血縁者の女性たちによって木綿の白布を物差しやハサミを使わず、縫い糸は返し針をしないで糸の先端を丸めない。丈は普通の着物より短く縫うものとされていました。着付けではこれを左前に着せ、白木綿の帯を締め、額には三角形の布や紙をつけ、足に白脚絆・足袋をはかせ、手には杖を持たせます。合掌しているなら脇に置く。額につける三角は、紙冠、宝冠、カミエボシ、マンジヌノ等と地方ごとに呼び名が異なる。その由来については、冠の一種、死者の顔をおおう「顔かくし」の変形ともいわれている。白は清純無垢につながるため、死者の魂の浄化や死のケガレをはらう意とされている。現代は好みの衣装を着る人が多くなっていますが、白装束の「白」には葬式だけではなく、お遍路さんや修験道の白装束も、花嫁の白無垢も、「新たな自己を再生していく」という意味が含まれていることは忘れたくないものです。

27 告げ人は二人の訳

 死亡の通知を寺や村人に告げに行く場合、一人ではけっして行わず、二人で対になって行くものとされていた。それでも、どうしても一人の場合には小石を持ったり他人の名前を書いた紙を持っていった。いずれにしても、これは悪魔除けにつながるものだ。ちなみに石は納棺の後、蓋を釘で打ち付けるとき金槌ではなく石を使う。土葬の時には埋葬した上に後石を置く。これらは、一般的には死霊が暴れ出さないようにと解釈されているが本当は悪魔がつかないようにとの呪術であろう。何故かと言うにアフリカの民族宗教では葬儀の後手を石にこすりつけてケガレをはらう。エジプトでミイラを作るときには金属ナイフではなく石包丁を使ったという。ゾロアスター教では現在も死者の安置は石板の上であるという。ゾロアスター教でも葬儀の儀礼は二人一組で処理にあたる。一人だと悪魔に負けるからだという。

28 蓮華は仏教のシンボル

 蓮華は、エジプトの他にオリエント諸国の遺跡や遺物の中からも多く見られ、ペルシャのダリウス宮殿には至るところに描かれているという。神の華である蓮は、王の華でもあった。インドでは、サンチー大塔をはじめ、仏教文化の中にさまざまな形で取り入れられた。
 紀元前2世紀頃、インド北方の王、ミリンダに対し、学僧ナーガセナとの問答は、ミリンダ王の問として名高い。
 「大王よ、たとえば蓮華は水中に生じ、水中に生長するが、水に汚染されないごとく、仏道修行者は布施をする家、修行者の群れ、利得、名声、尊敬、崇拝そして愛用する必需用具においても、全ての物において、汚染されずにあるべきです。大王よ、これが把握すべき蓮華の第一の徳分である。
 大王よ、更に又蓮華は水面から出て立つが如く、仏道修行者はすべての世間に打ち勝ち、越え出て、出世間のことがらにおいて安立すべきです。これが把握すべき第2の徳分である。
 大王よ、更に又蓮華は微風によっても揺れ動く如く、仏道修行者はわずかな煩悩においても制御をなすべきでありわずかな罪過においても畏怖をみて安立すべきです。これが把握すべき蓮華の第3の徳分である。」
 世の中や人の心が汚泥であっても蓮華の如く清浄無垢であり、しかもその状態を崩さない。大王よ、これが必要なのだ、とナーガセナは言っている。だから蓮華は、仏教でもその教義のシンボルとして取り入れられたのです。