時々刻々と変化する、「Coward」 全曲レビュウ。

01 ENDLICHERI☆ENDLICHERI/02 故意/03 雄/04 闇喰いWind/05 a happy love word/06 16/07 Chance Comes Knocking/08 御伽噺/09 Six Pack
/10 ソメイヨシノ(album ver.)/11 Coward/12 美しく在る為に/13 これだけの日を跨いで来たのだから


M01 ENDLICHERI☆ENDLICHERI
music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:上田ケンジ,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ ワタシはこれは奇跡のアルバムだと思っています。「[si:]」も素晴らしいなと思ったけど、間違いなく「Coward」はその上をいく名盤。箭内道彦のセンスが大きいのかもしれませんが、ジャケットをはじめとするアートディレクションがめちゃめちゃかっこいい。そして音もかっこいい。「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」というトリック・スターを自演することによって、「所詮、堂本剛がやる音楽でしょ?」という世間の裏をかきたい、という気迫に満ちてます。「Coward(臆病者)」というタイトルがついているにもかかわらず、真逆な内容とも取れる。

▲ 一音目からもうこれまでとは全然違うなというのが一"耳"瞭然。テクノを取り入れてきたな、とかそういうことだけじゃなく。なんといってもこのノリ。グルーヴ感。剛さんのそれまでのソロ活動にはなかったものです。

▲ 結局、ENDLICHERI☆ENDLICHERIプロジェクト終了(244 ENDLI-xとなった2008年頃)まで、この曲はENDLICHERI☆ENDLICHERIのテーマ曲であり続けました。

(09/05/17)




M02 故意
lyrics&music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:十川知司,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ アルバムで1、2に好きな曲。なんといっても詞がいい。タイトルは「恋」ではなく「故意」。「故意」ってのはどっか不自然な心の動き。でも「恋」ってそういうもの。身勝手なもの。それに対する皮肉が込められてるのかも。「きみ」に向ける想いはそういう「恋」じゃなくて、「愛」なんだと。

 ある日から少しずつ形を変えて きみへ投げる想いは
 想像遥か超え 綺麗である


▲ 時間が経つほどに純粋な気持ちになっていく・・・そう在れたら何て素敵だろうと思います。 「恋」だったら、大体最初の方の気持ちが最高で、後は劣化していくだけなんですけどね。「愛」はそうじゃない。付き合いが長くなっていって、そんなふうに「恋」が「愛」に変わっていくことを、「空気みたいな存在になる」なんていうふうに表現する人もいますが。剛さんはそれを「綺麗な想い」と表現するんですね。つくづく深い愛の人だなあと。

 時間飛べたなら 訪ねてみよう きみが産まれた日を

▲ 「きみ」が生きているということが嬉しくてしょうがない。だから産まれた日の「きみ」に会いに行って祝福したい。・・・なんてロマンチック。

 きみじゃないとね 云えない 優しさが 胸を掴んで離さない

▲ 誰でもが言えるような優しい言葉じゃないんですよね。「きみ」にしか言えない言葉や優しさ。それをもらった。 …ここだけでなく、全体のストーリーをみると、ひたすらに「きみ」を「愛する」という男っぽい感じではなくて、 自分を愛してくれた「きみ」に対する感謝というか、そんな雰囲気に満ちてる。そういうトコロはやっぱり女性っぽい恋愛観だなあ。

▲ しかし最後の「♪愛してる~…ヴぅ~…」はいただけない。

(09/05/17)




M03 雄
lyrics&music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:十川知司,上田ケンジ,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ サビのあたりはあまり好きではないんですが、イントロとエンディングの音が最高。ここだけずーっと聴いていたいような浮遊感。脈動も心地よい。まるで子宮の中にいるようだ。

 妊娠するんじゃないかってくらい …の衝撃打

▲ 「雌」はね、「妊娠する!」とかよく言いますよ(笑)。 「この人の子が産みたい!」と思う男子に直接的にでも間接的にでも遭遇したとき、子宮にクる感じをそう表現してるわけですが。こういう感覚、男子にもわかるもんなのかなあ。想像にしろ感覚として理解しちゃうのがすごい。

 独特なキス 細かく神経噛む マクロコスモスへの旅が癖になってる

▲ キスで宇宙までイッちゃうわけ?しかも毎回?一体どんな風に開発されてるのかっ。けしからんエロさだっ。

 帰り道 母の為に摘んだ草花を 風に揺らしてた季節から?

▲ 風に吹かれて立ち尽くしている剛少年の姿が容易に思い浮かびます。美しいですね。ここはノンフィクションだよな。確か以前そういう話をしていたように思う。 …でも「雄」はあんまりそんなことしない。「妊娠する」とか、「キスで××」とか、「母の為に花を摘む」とか。剛さんが主体なんだろうなとは思いますが、 ジェンダーがぐらぐら揺らいでて、一体雄なのか雌なのかわからなくなってくる。だからこそ魅力的。剛さんにしか書けない詞だなあと思う。 そして雄にしろ雌にしろエロいことに変わりは無い(笑)。つーかエロいのはオレっすか。

(09/05/17)




M04 闇喰いWind
lyrics&music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:上田ケンジ,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ tankでのライブを見た後ではすっかり「腰振りソング」になってしまうわけですが(笑)。改めて聴くと Bメロのアレンジがすごい。それから間奏の西川センセイのギタープレイが相変わらず イカレてます。演奏としてもライブパフォーマンスとしても西川センセイありきな曲なんじゃないでしょうか。

(09/05/18)




M05 a happy love word
lyrics&music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:上田ケンジ,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ ディープなブルースの世界。世界への「嘆き」に満ちてますね。ギターも泣いている。いかにも関西人やなあって感じで、個人的には苦手。でも、嘆き悲しんでいる(怨んでいる)ばかりじゃなくて、 「happy」で「love」な言葉を探し歩こうっていう、非常にポジティブな内容も入り込んでる。こういう外向きのメッセージって、実は「[si:]」までにはみられなかったものだったりする。

(09/05/18)




M06 16
lyrics&music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:上田ケンジ,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ 「16」って何なのかな、ってずっと考えていたんです。「夕暮れが16を刻み」だから、時計が刻む16時かな、とか。 それともソウルな16ビートなのかな、とか。はたまた夕暮れ時にふと思い出す16歳の頃のことなのかな、とか。結局答えは出ないままでした。

▲ それ以降の歌詞は、好きだからこそますます苦しくなるっていう女子の気持ちを歌ってますね。まるで不倫の際中みたいだ。 不倫じゃないにしても、何か大きな困難が立ちはだかっているに違いない。そのために自分の気持ちが引き裂かれてるんだよね。 「答えの出ない恋なんてしたくない」「でも、したい」っていうふうに。「あたしは一人しかいない」のにアンビバレントな気持ち。 そういう矛盾を抱えたまま、またずるずるとあくる日に引きずりこまれていく…。

▲ 女性目線の詞だけあって、歌はアルバムの中で一番セクシーかな。

(09/05/18)




M07 Chance Comes Knocking.
lyrics&music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:十川知司,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ (ついつい踊ってしまいレビューが書けません。)

(09/05/18)




M08 御伽噺
lyrics&music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:上田ケンジ,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ 「御伽噺」というのは、浮世離れした世界ということで…ゲーノーカイの暗喩なのかなあ、なんて思いました。 綺麗事で出来上がっているキラキラした世界ですが、様々なものを犠牲にしなければならないという、残酷な面もある。そういう二重構造もおとぎ話に似てる。

 ぼくが泣いている間にね だれかが笑えているね

▲ 自分が辛い思いしていることによって、誰かが笑ってくれるのなら…。ゲーノーカイというおとぎ話の世界から「もう戻れない」とこまできてるんですから、そう考えて自分を納得させていくしかない。剛さんもそう考えたことがあったんじゃないかと思います。でも、やっぱり一度きりの自分の人生を犠牲にしたくない。だから、おとぎ話の中にいるんじゃない、リアルな自分はここにいる、と 「大きな声」で叫びたい。でも剛さんはここで「大きな声 出そうかな」と、「かな」で終わってるんですよね。叫ぶ寸前。そんな気分の詰まった曲。

▲ 途中の曲調がくるくる変わるところとか、椎名林檎の「やっつけ仕事」をちょっと思い出す。

(09/05/19)




M09 Six Pack
lyrics&music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:十川知司,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ 最もポップ。イントロからしてワクワクします。詞の内容も割とストレートで、 「どんな恋愛でもどんとこい!」ってな腹筋(six pack)を「僕は持ってる」と歌ってますが、実際のところはそうありたい、という願望を表した曲なんじゃないかな。

▲ …なーんて最初は思っていたのですが。よくよく詞を味わってみると、お互い求め合ってるんだけど、これを恋愛関係だとハッキリさせたくない自分(相手もそうなのかな)がいて。「恋」の方から「どんといっちゃえよ!」って脅されている、って感じがする。歌詞の一部だけ「僕」=擬人化した「恋」になるんじゃないかと深読みしたりしてみました。

 我侭キス許し胸を撫でて腰のカーブ 手を添えたらもう勝てない 玄関先

▲ ここが問題ですよね。「我侭キス許し」は、相手にキスされるがままになってる、って感じ。「胸を撫でて」は相手の胸を撫でてるというよりは、やっぱりこれも相手が撫でてる感じ。主体が文節ごとに入れ替わるのは不自然すぎるので。そして「腰のカーブ」に手を添えるのもやっぱり相手な感じがする。っていうかワタシのなかではそうとしか考えられねえ。剛さんは誰かの我侭なキスを許して胸を撫でられて腰のカーブに手を添えられるともう勝てないのねーっていう(爆)。だって剛さんにはあるじゃないですか腰のカーブ。

▲ だってさー、女性に対してだとしたら胸を「撫でる」とかちょっとヘン。「揉んで」はあり得ないにしろ(笑)、「胸を伝い」ぐらいには書けたハズ。それを「撫でる」にしてるんですから。まあ「誰が」「誰に」とか厳密に考えても大した意味はないでしょうけどね。主体と客体、男と女がくるくると入れ替わるようなところが剛さんの詞の世界の醍醐味だとも思いますので。

▲ それにしても「玄関先」はエロい。

(08/05/21)




M10 ソメイヨシノ(album version)
lyrics&music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:十川知司,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ 「きみ」=ソメイヨシノ、「あなた」=母、という書き分けがされてますが、ほぼ「きみ」=「あなた」。さらに言えば、≒「自分」。 自分とよく似た母親への思慕がストレートに伝わってくる曲。剛さんがライブで、「この歌を歌うことは自分にとって良いことなんだと思う」と言っていたのが印象的です。いろいろあったのかもしれないけど、結局一回りして、母を慕うことにもうなんの衒いも迷いもなくなったのかなと。

 マイナスな歌は小鳥が嫌う

▲ 「一回りした」と感じるのは、こういうとこですよね。母を悲しませるような「マイナスな歌」も歌ってしまうけど、これが自分なんだということを母にもわかってもらいたい、認めてもらいたい、というような心情がわずかに見え隠れしてる。

▲ でも、最初聴いた時、すごく「[si:]」を彷彿とさせる曲だなあと思ったんですよね。曲が生まれた経緯を考えても、いろんな固有名詞を背負っちゃってるぶん、聴いてる方が感情移入しにくいというか・・・。

▲ いや、「Coward」だって、あらゆる曲が「剛さんだなあ」とは思いますけども、世界の見方とか、心の向かう先とか、そういった抽象的なところによりそれを感じるんですよね。「抽象的」ということは「普遍的」ということに近い。だから、皆が感情移入していく余地がある。この点が違ってるんですよね。内向きの言葉じゃなくて、外向きの言葉。自分のためだけじゃなくて、世界を励ます音楽。これが「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」なのかなー、と、今になってつくづく思いました。だからこのアルバムをはじめとする一連のENDLICHERI☆ENDLICHERIプロジェクトがキラキラしていたんじゃないかと。

▲ 後半のブラスアレンジとかはちょっとトゥーマッチかなあ。下神さんという存在ありきでつけられたアレンジって感じ。

(09/06/02)




M11 Coward
music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:十川知司,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ 穏やかな、淡々としたインスト。剛さんが単にアコギ弾きたかっただけなのでは。 ブックレットを見る限りでは、実はこのアルバムでは剛さんはあまり楽器をプレイしていないような。ちょっと意外。エレキは「雄」と「闇喰いWind」にしか名前が無い。

(09/06/02)




M12 美しく在る為に
music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:十川知司,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ 不安定なギターの音色に、悲しさをたたえたピアノの音色。 もうとにかく前奏・後奏の美しさは唖然とするほどですね。十川さんのアレンジってホント素敵。

▲ そこに入ってくる剛さんの声はなんというか、 儚げ、とも違うし、不安定、というか、何か張り詰めたものがある、というか。聞いているとちょっと息苦しさを覚える。そんな声です。 普通だったらあんまりCDには残さないようなテイクなんじゃないかなあ。ご家族が体調を崩した直後に歌入れをしたということを後から聞いて、 そうだったのか・・・といろいろ腑に落ちました。

▲ この曲もまた不思議な詞。「森」とか「湖」とかは剛さんの心の中にあるそれなんじゃないかな。 インナースペースを彷徨っているような頼りない印象を受けます。そんでもって、“他人(ひと)は自分が「美しく在る為に」勝手な醜い振る舞いをする。でもあたしはそんな他人だって責めたりしない。だから本当に美しいのはそんなあたし”・・・っていう風に歌っているように聞こえるんですよ。ワタシには。ちょっとナルシスティックすぎてついていけない。今更「汚い大人」なんて言うなよ、とか思っちゃうんですよねえ。 だからこの曲がそんなにも好きになれない。「汚い大人」の心の弱さを斟酌する境地には、まだここでは至っていないんだなあ。

▲ なぜ女言葉で詞を書くのか、という疑問に対して、剛さんは、「~だわ」っていう言い切りの語尾が強くて使いよいから、というようなことをインタビューで言ってたことがあって。それ聞いた時は「んなことあるかい!」とか思ってたんですが。この曲ではそれが とてもよくわかった。「冷たいが全てではないわ」を男言葉で書こうとすると、「全てではないさ」「全てではないよ」「全てではないんだ」・・・ どれもしっくりこないし、言い切りが弱い。かといって「全てではないぜ」では台無し。なるほど、「~わ」ってのはなかなか便利だ。

(09/06/09)




M13 これだけの日を跨いで来たのだから
music:ENDLICHERI☆ENDLICHERI arrangement:十川知司,ENDLICHERI☆ENDLICHERI
▲ 生きていればいろんなことがあります。っていうか、いろんなことがあっても生きていかなければならない。そういうペーソスを含んだポジティブさがあって大好きな曲です。

▲ しかし一つ気になっていることがあります。それは「跨ぐ」という言葉。これは「ものの上を越える」という意味です。「これだけの日を跨ぐ」ということは、それなりの年月を経てきていることは間違いないけれども、そこに発生する何だかんだを一つ一つ踏んでないようにも感じられます。汚いものは「跨いで」きたのかしら、なんて。言葉の端々にもそういう汚さが許せない潔癖さが滲んでますしね(「ありがとう・・・って云えない」とか、「悲惨な出来事なんてあるのが当たり前なのかな?」とか)。まあ、これは完全なる誤読というか揚げ足取りですけども。これまで「跨いで」きたものを「歩んで」いく、そんな決心とも読める。そんな誤読も感動的なんじゃないかと。

▲ メロディーとしてはワンフレーズしかないのに、これだけ感動的にそれを蓄積させていくことができるというのも素晴らしいです。この曲あっての「Coward」だ。なんというか、やっと訪れた青春、みたいな、トキメキのあるアルバムです。つくづく。

(09/06/09)




以  上