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時々刻々と変化する、「Topaz Love」レビュウ。

01 Topaz Love/02 DESTINY/03 哀愁のブエノスアイレス/04 CLASSIC



01 Topaz Love
lyrics:堂本剛 music:堂本光一 arrangement:堂島孝平

「Topaz Love」が名曲だということは聴けば誰しもわかると思うのですが、ほんとにこの曲のすごさ伝わってる?! みたいな気持ちになることもある。この曲の歌詞は二つの物語を重ね合わせたものになってるんですよね。

一つは、光一さんがメロディを作るとき(この曲は曲先)に思い浮かべたという、 「深夜徘徊する10代少女の恋の物語」。 光一さんはこのイメージを剛さんには明確に伝えなかったそうですが、出来上がりはなんとなく そんな感じになってたそうです。これだけでもすごいエピソードだ。以下はそれに沿った読み解き。読み解きというか妄想。



 夜空弾く華の灯が  弧を描いてそっと黙る
 聴こえなくなった続きへ  耳を澄ます寂しい世界




夜空に上がる花火を、遠くから眺めている少女。花火は儚いものですが、それだけではない寂寥感。 本当は誰かとこの花火を見たかったのでは…と思わせる導入です。



 気づかれ始めて高鳴る胸  辿り着きそう…
 愛のひと…  どうか待っていて




「気づかれる」というのは、「胸」が「あたし」に、だと思うんですよね。 剛さんの詩では、自分の「胸」をまるで別人格のように扱うことがままあります。 パニック症候群になったことで、自分の身体であっても自分ではコントロールできないもの、という意識があるからなのかもしれない。多分、少女の中に元々あった恋心なんだけど、 ふとそれに気づいて、気づいたら止められなくなっちゃうという感じ。

そして、「辿り着きたい」じゃなく、「辿り着きそう」と言っている。相手に対して、もう少しで辿り着きそうだから待っていて、と心の中で語りかけている。 それと、もう走り出してる感も出てますよね。 「辿り着きたい」だと、走り出してるのか出してないのかわからない感じがするけど。

それから「愛のひと」ですよ。愛する人、じゃない。博愛の人を「愛の人」なんていうこともあるけど、 そんな人物評をここでするとは思えない。これはあたしの愛する人でもあり、 あたしを愛してくれる人でもある、ということなのではないかと。 「愛する人に辿り着きたい」という感じに取れるフレーズですが、よくきくとそんな一方的な思いではない。 待っていて、とあたしが言う相手もきっと待ってくれている状態なのかなと思わせます。



 Topaz Love  輝き暴れた宝石  恋の色彩(いろ)の宝石よ



走り出したイメージが明確になったBメロからスパーンとはいるタイトルフレーズ。 キマり具合がハンパない。トパーズは「突発(的)」に似た語感であるだけでなく、 探し求める、という意味のギリシャ語が語源だそうで、これもBメロまでに作り出されたイメージにピッタリ。 どうしようもなく突発的に走り出した恋心を、「輝き暴れた宝石」と表現しているのも納得です。



 Topaz Love  あなた目がけるネオンが綺麗
 泣き見惚れてる…  大好きよ…




「あなた目がけるネオン」で、「相手ホストだったんかーい!」みたいな気持ちにもなるけども、 たぶんそうじゃないですね。花火を見て、会いたくなって、 夜の街であなたをようやく見つけた、というシチュエーションを描いているのだと思います。 ここで「深夜徘徊する少女」という光一さんのインスピレーションがきちんと回収されています。



 水の中潜ったような  静寂へと難破したあたし
 どこまでも続く孤独の  青い色に赤らむ唇




ここは、「あなた」に出会う前の少女の孤独を歌っているのかなと思います。 あなたが現れたことで色づいた自分。でも、赤らむ唇=色気というダイレクトな比喩というよりは、 「血が巡る」「生きている」「温かい」みたいなニュアンスを感じます。 剛さんは寒くなるとすぐ唇が青くなるタイプみたいだから、尚更そう感じるのかも。



 探し求めてた物語に  辿り着きそう…
 愛のひと…  そこで待っていて




探し求める、というトパーズの語源そのもののフレーズが出てきました。 そして、短期的にみれば急に走り出したようにみえる恋心だけど、 長期的にみればそれこそがずっと探し求めていたものだった、というような引いた時間軸を感じさせる。あと、「そこで」と入れてることで、向こうから迎えに来てなんて思ってなくて、 とにかくあたしが辿り着く!というオトコマエな意思も出ちゃってるなあと思う。



 Topaz Love  希望が滲んだ宝石  火の虹打つ宝石よ
 Topaz Love  誰か愛するネオンは綺麗 
 泣き見惚れてる…  大好きよ…




トパーズの石言葉は「希望」。 そして語源にはもうひとつの説があって、インドで「火の石」と呼ばれてたことだそうで。 さらに虹のような模様を浮かべる石もあったりして。 このへんはトパーズのことを調べつつ書いたんだろうなと微笑ましい気持ちになります。

「誰か愛するネオンは綺麗」は、愛するあなたがいる夜の街あかりは綺麗に見える、という意味かなあ。 1番と同じ場面にたどり着いた感があります。



 Topaz Love  輝き暴れた宝石  恋の色彩(いろ)の宝石よ
 Topaz Love  あなた目がけるネオンが綺麗
 泣き見惚れては…  サイレント…


 (A)
 誰を好きになってもいい
 いちどきりのあなたを好きでいたいよ

 (B)
 結ばれることをどこかで恐がり  嘘ついて恋していい
 巡り合ったくせに  結ばれず  夢の途中 
 覚めないあなたが  痛いよ




大サビがあって、いわゆるDメロは、A(光一)とB(剛)、異なる詞曲を二人が同時に歌うという構成。しかし「の」はハモで、「いたいよ」はユニゾンでピタリと合ってエンディングという美しさです。 AとBは、少女の中にある分裂した思いを歌っていると解釈できる。

Aは、「誰を好きになってもいいの」なんていじらしいことを言っているんですよね。 これはMVでは「あなた」にすでに誰かがいるから、という解釈になっていました。 でもそうすると、「愛のひと」の解釈と合わないなと思うわけで…。 これは、相手に誰かいようがいまいが関係なく好きでいますよ、という意思表明ではないのでしょうか。

対するBは、好きを貫きつつも、恋心を恋心のままにとどめようとする自分(=A)に疑問を投げかけているようにみえます。 でも、相手だって待っていてくれているのに、やっぱりこの恋を成就させようと踏み出すことができないのは同じ。これは剛さんがたまに言う、「恋をしてはいけないと思ってた」という言葉を思い出させます。 だから、逆みたいだけど実はAもBも同じことを歌っているのかもしれないですね。自問自答を繰り返し、そしてこの恋は成就するのかしないのかというと、なんとなくしないっぽい…という切ない印象が残ります。







さて、ここに重ね合わされているもう一つの物語は、「突発性難聴を発症し、 横浜スタジアムでのデビュー20周年記念のイベントに、 別室からの中継という形で出演せざるを得なかった剛の物語」ということになります。 この物語を歌にすることを提案したのは光一さんで、イベント1日目に、歌詞のないメロディーでこの曲を演奏して、剛さんに見せた。剛さんはそこからイベント2日目までの間にこの歌詞の原案を作ったわけです。本当は、7年ぶりの共作となるこの曲は、 剛さんが突発性難聴で入院している間にすでに届けられていたということなのですが(それだけでものすごいエピソードだ)、剛さんは「全然思い浮かばなかった」と正直にも言ってましたね…。でも、だったら今この瞬間を歌にしてほしい、と光一さんは言ったのですよね。以下はそれに沿った読み解き。



 夜空弾く華の灯が  弧を描いてそっと黙る
 聴こえなくなった続きへ  耳を澄ます寂しい世界




イベントは2日間とも、「横浜スパークリングトワイライト」という花火大会と重なっており、会場となった 横浜スタジアムからもその花火が見えました。剛さんはイベント中、 都内の某スタジオから中継をしていたわけですが、モニター越しに、 よその花火大会で盛り上がる会場の様子も見ていました。 剛さんの耳を第一にと、抑えた音量で返される会場の音。静かなスタジオ。



 気づかれ始めて高鳴る胸  辿り着きそう…
 愛のひと…  どうか待っていて




「もう少しで辿り着きそうだから待っていて」というのはその時の剛さんの心の声そのものですよね。 この時、「ライブに行きたいのに行けないファンの気持ちがわかった」、なんてことも語ってました。 「愛のひと」は会場で剛さんを待っている全員ですよね。「自分を愛してくれる人」に近いかもしれない。



 Topaz Love  輝き暴れた宝石  恋の色彩(いろ)の宝石よ



イベント1日目、歌詞のない状態のこの曲を演奏したときに、 光一さんが「いろんなことが突発だったから、 この曲は『突発的』とかでいいんじゃない?」と言って、 剛さんが「『突発LOVE』でどうですか?」と返したんですよね。 その場では流石にね…みたいな雰囲気になっていたのに、 いざ出来上がってみたら「Topaz Love」になっていた、というこの衝撃。 歌はほとんど「とっぱつ」って言ってるように聞こえます。 「突発」にはもちろん「突発性難聴」の意味も含まれているわけで。 だから「暴れた」のだよね。 身に降りかかった困難を輝く宝石に変えてみせたのですよ…なんて人…。



 Topaz Love  あなた目がけるネオンが綺麗
 泣き見惚れてる…  大好きよ…




「あなた目がけるネオン」は、会場でファンが持っていたペンライトの光。 ということは、それが目がけられている「あなた」は 会場のステージにいる光一さんということになります。 だからホストではない(笑)。 剛さんが「あなた」という二人称を書くとき、 どうしてもそれが光一さんのイメージになっちゃうところがありますけど、 ここはシチュエーションからしてそうとしかとれないですね。 「泣き見惚れてる…」以下は、 離れたスタジオから横浜スタジアムの光景を見ていたこの時の剛さんの心情を思うと切なくて仕方がない。



 水の中潜ったような  静寂へと難破したあたし
 どこまでも続く孤独の  青い色に赤らむ唇
 探し求めてた物語に  辿り着きそう…
 愛のひと…  そこで待っていて




突発性難聴になった時のことを、剛さんは「水の中に潜ったように音が聞こえなくなった」と語っていました。 そして目に見えない疾患であることから、なかなか理解してもらえずに孤独感が強かったということも。

この詞を書いたときにはまだ症状にそれほど変化がなかった時だと思うのですが、 それでも孤独から抜け出して「赤らむ唇」という表現にしたのは、そうなりたいという希望含みだったのだろう。「辿り着きそう」もそうなんだろう。でもさっきも書きましたけど、とにかく辿り着く!というオトコマエな意思が出ちゃってる。そして「希望」というのはトパーズの石言葉でもあるわけです。



 Topaz Love  希望が滲んだ宝石  火の虹打つ宝石よ
 Topaz Love  誰か愛するネオンは綺麗
 泣き見惚れてる…  大好きよ…




イベント2日目に披露してくれた原案は1番のみでしたけど、サビの終わりは「虹うつ愛のネオンが綺麗」 だったのですよね。それが「火の虹打つ宝石」につながっている。ということは、トパーズって、突発性難聴のことというよりは、20周年イベントで剛さんが体験したことを含めて、突発性難聴によって起こったいろんなことをひっくるめた時間と空間のことなのかもしれない。それを宝石だと言っているわけですよ…なんて人…。



 Topaz Love  輝き暴れた宝石  恋の色彩(いろ)の宝石よ
 Topaz Love  あなた目がけるネオンが綺麗
 泣き見惚れては…  サイレント…




「泣き見惚れては…サイレント…」で、賑やかな会場と静かな部屋のコントラストにぐっと再び引き戻される感じがします。



 (A)
 誰を好きになってもいい
 いちどきりのあなたを好きでいたいよ

 (B)
 結ばれることをどこかで恐がり  嘘ついて恋していい
 巡り合ったくせに  結ばれず  夢の途中 
 覚めないあなたが  痛いよ




イベント2日目で披露された原案には、このDメロ部分はありませんでした。 だから、ここをもう一つの物語の文脈で読むのは難しいのかもしれない。 でも、特にBについては、やはり剛さんの心情を重ねてしまう。

「嘘」というのはセンセーショナルすぎるかもしれないけど、私はあのイベントの時の剛さんの振舞いを思い出してしまいます。悲壮感をまとわず、とても自然体に振舞っていた剛さんの姿。でもそれは全然、自然なことではなかったんだろう。病気になったことで、いろんなことに気づいたし、宝石のような光景も時間ももらったけど、心からそれを楽しむことなんてできなくて。でも心配かけないように精いっぱい振舞って。ハッピーエンドにしたってバッドエンドにしたって、いつ結末に辿り着くかもわからず、「夢の途中」で現在進行形の「痛み」とともにある…というような。 しかもそれを剛さん1人で歌っているのがさらに切ない。だからこそ光一さんには、「あなたを好きでいたいよ」と歌っててもらいたかったのかもしれないですね。







10代少女の恋物語というパッケージを開けると、あの日あの時の空気や気持ちまで鮮烈に蘇ってくる剛さんの詞。テクニカルなすごさを超えた真実がある。そして曲も勿論すごいわけですけど、この曲に関しては光一さんのプロデュース力というか、剛さんのこの詞を引き出したこともホントすごいと思う。客の入ったステージ上で「書いて」って言うんだから、剛さんは断れない。そういう状況を作ってまで書かせたんですよ。それは、剛さんの今の思いを、剛さんだけのものではなく、二人のものに、KinKi Kidsのものにしたかったからですよね。どんなに寂しく、どんなに切なく、どんなに悔しい思いだったかは、本人にしかわかりえないことではあるんですけど、それを一人ですべて背負いこむのではなく、分けてほしかったからですよね。アーティストとしての性と、自らのグループへの貪欲なまでの愛の両方を感じる。多分それは不可分だし。

光一さんが7年ぶりにKinKiに曲を書いたのは、剛さんが作った「陽炎〜Kagiroi」がきっかけだと私は思ってて。これまでのKinKiの曲にはない系譜の、しかしKinKiにしか表現しえないようなハイクオリティな曲を剛さんが作ってきたことに、大いに刺激を受けたのだと思います。だから「陽炎〜Kagiroi」がなければ「Topaz Love」もなかった。そして、「Topaz Love」がなければ、「YOU…〜ThanKs 2 YOU〜」もなかったのではないかと思うのですよね。横スタイベントの日の剛さんの物語を、光一さんがKinKiのものにしてしまったように、ジャニーさんの火葬の日の光一さんの物語を、剛さんがKinKiのものにしてしまったのですから。厳密にいえば後者はやはり光一さんと剛さんの物語なんですけどね。あの曲で光一さんは自分の悲しみを剛さんに曲にされることをどう思っていたのだろう…なんて考えることもあったのですが、それは光一さんが先にやっていたことなのですから、今度は自分がそうされる番だ、と思っていたのかもしれないですね。そして次はまた光一さんが剛さんの物語を紡ぎだす番なのでは?なんてことも期待してしまう。

40代になって、この人たちは、相方と自分の人生をKinKi Kidsという物語に収斂させていく、「私小説期」に入ってしまったのではないかと戦々恐々としています。だってこの人たちが私小説やろうとすると、うっかり「神話」になってしまうんですよね……尊いのもいい加減にしてほしいものです。



(20/02/03)

 

 

 

 

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