未来に何を残しますか その1

先祖から受け継いだ海、山、川、田んぼ、青空を未来に残すために、今何をすべきでしょうか 、どんな価値観をもって、何を大切にして、何をガマンして生きていけばよいのでしょうか?
次のような考え方があります。

B農業は自然に比べて不安定。田の生き物と共存する農業技術が必要。
 農業に対する重大な思い違いが二つあるようです。
 一つは農業は自然だという考え方。もう一つは農業はできるだけ自然の影響を受けない方向に発展すべきだという考え方です。田畑は自然そのものではけっしてありませんし、かといって人間の手ですべてを管理できるものでもないと私は考えています。
 ソビエトの処女草原を開墾してムギ畑にした前と後の調査では、自然の状態だった頃の昆虫の種類と数が農業をし始めたら、かなり変化しました。昆虫の種類が減り、何種類かの虫ばかりが多くなり(ひょっとすると害虫化するかも)、しかも全体の数は二倍になってしまったわけです。農業が自然に比べて、いかに不安定であるかがよくわかります。ひとつ間違えば、ある種の害虫が大発生する恐れがあるのです。つまり、一つ間違わないように人間が「手入れ」をしないといけないのです。「管理」ではないのです。
 農業生態系を人間の手で「管理」し尽くそうというのが、今までの農業技術の発展方向だったといってもよいでしょう。だから農薬を多用しなければならなくなりました。害虫の被害は自然の脅威と映りました。田畑は自然ではありませんが工場ではありません。人為で支配することはできません。できるだけ田畑の自然的な特徴を生かして、害虫や病気もある程度までは発生しても良い、異常発生しなければ良いという考え方をもつべきでしょう。
 田の中の生き物の世界を見る眼を養い、稲作の楽しさ、面白さを追求するためには、自分の主体性を発揮できる「手入れ」という発想で、現在の「農業技術」を見直して見たいものです。
   [参考文献:減農薬のイネつくり(宇根 豊)を改変]
@たくさんの生物との共存が必要
 日本の大型淡水魚は大陸に比べ極端に種類が少ない。だから、外来生物が持ち込まれると競争相手や捕食者がいないため、外来生物は爆発的に増えてしまう。外来生物とはアメリカザリガニ、スクミリンゴガイ、ウシガエル、ブルーギル、オオクチバス等です。生物が少ない場所に新たな種を導入することは、生物相の多様化に役立つと考えられます。しかし、日本の淡水魚類はコイ目などの中小型種から成り立っているので、外来生物が導入されると、元々棲んでいた日本の淡水魚が絶滅してしまう可能性が高くなります。
 一方、日本に棲むコウノトリ、ツル、トキ、ヘラサギ、シギ、チドリ類は大陸と共通
で、そのほとんどが食物連鎖の頂点やその近くに位置する高次の捕食者です。だからこれら大型鳥類は外来生物を捕食して、爆発的に増えるのを抑える働きをすると考えられます。日本の水田やため池に昔のような大型鳥類を含めたたくさんの生物を復元させる必要があるのは、まさにこの点です。
 大型鳥類を日本に定着させるためには、餌動物として、タニシ、ドジョウなどの他、水田に棲むトノサマガエル、ダルマガエルなどが必要となります。また、ヘビも餌として重要なので、ヘビを養うために、林に棲むカエル、水田に棲むカエルが必要になります。カエルが生きていくためには、棲む場所や餌動物が必要になります‥‥‥だから、たくさんの生物との共存が必要になります。特に、水田の生物をたくさん増やすことが大型鳥類の定着のために必要であると考えられます。
         [参考文献:水田を守るとはどういうことか(守山 弘)を改変]
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Dもういけない状況が、すぐそこまで来ている。
 地球、人類、動植物、空と太陽の恵み、海の幸‥‥、現在あるすべてのものは現れては消えていきます。時間の流れる方向へ進み、もとには戻れません。とにかく前へ進むしかないのです。一歩前へ踏み出す時に、後ろを振り向いて、賢明な一歩とは何かを十分に考えることが大切です。
 世の中は便利になり、自動販売機、コンビニ、携帯電話、コンピュータ、インターネット、新幹線、飛行機、自動車、高速道路、エアコンなどが人間の生活リズムを完全に変えてしまいました。人間は、じっくりと時間をかけて考えることができなくなり、その生活はネズミのようにかけ回って、目先の事に追われる毎日になってしまいました。
 「いったい、何のために生きているんだろう」と考える人は多いと思います。しかし、未来に何を残すべきか、過去に何を亡くしてしまったか、これからどのような価値観を持つべきか‥‥etc、本当に考えなくてはならない事が山ほどあります。ところが、その考えるべきことを他人まかせにする風潮が主流になりました。
 今一番大事なのはお金でしょうか?、権力?、贅沢?‥‥。それとも、世界平和?、核廃棄?、貧富の差を亡くす?、そして、それは誰がするんでしょうか? 考える事とそれを実行する事が一緒にならないといけません。皆さんは本当に考えなければならない事を考え、それを実行していますか? 
 現在の贅沢な生活の中で、贅沢な生活をやめよう!、価値観を変えよう!、と言っても、どこまで世の中に通じるだろうか? 地球には人間以外の生き物がたくさん棲んでいる。人間社会の経済利益追求のために、どんどん生き物の生息環境が破壊されていく。本当に、皆が考えて実行しないと、もういけない状況が、すぐそこまで来ている。
                             [私の意見です。]
  
C有限の地球上での無限の発展はあり得ないと誰しもが気づきはじめた。
 言葉や形だけが先行してしまい、本当に意味するもの、中身や本質が置き忘れられてしまうことがある。自然界の仕組みは複雑である。理解に苦しむというより、関係する要素が非常に多く、全体の関係の理解が行き届かないという点が、いろいろな矛盾を生んでいく。自然に関する事柄では、やってみなければ分からないという場合は、何もせずに分かるまで待つ、あるいは昔からの方法に従うべきである。それだけの我慢が必要な時代である。
 よりよい環境を作り出す方法は、人が変わるか、環境を変えるかの2通りある。生物的自然の法則性を無視すると、損失を受ける場合が多い。法則性を無視すれば、よかれと思っておこなっても、良い結果が得られるとは限らない。
 ヘビやナメクジの好き嫌いは多分に後天的なものであり、自然や環境に関する評価の尺度は自然物とのふれあいの中から次第に形成されるものである。薄気味悪い動物も生物的自然の構成者として、それぞれが重要な役割を果たしている。これらの生物の欠除は自然全体の姿を変えてしまうような重大な変化をもたらす恐れがある。
 昔からの価値観と新しい価値観の葛藤はまだしばらく続き、さまざまな混乱や争いを生みだすかも知れないが、有限の地球上での無限の発展はあり得ないと誰しもが気づきはじめた。人類は賢明な道を選ぶだろうと期待している。
        [参考文献:トマトはなぜ赤い(三島次郎)を改変]
A先人が残した自然環境を未来への遺産として残さなければならない。
 里山林は、薪炭林または農用林として利用されてきた雑木林であり、区画を決めて15〜30年間隔で皆伐を繰り返してきました。里山林は主としてコナラ、クリ、クヌギなどの雑木林やアカマツ林からなっています。
 スポンジ状の腐葉土や団粒化した層が10cm程度ある林床の保水量は約10〜13.5t/10a
でした。1年前の落ち葉がほとんど分解されないまま層状に林床に広がり、ちょうど屋根を葺いたように覆っている場所の保水量は約4.5t/10aでした。クズ、フジ、ツタなどのつる性植物のマント群落が全面を被っている林分でも根系の発達がさらに悪くなり保水量は1.5t/10aでした。
 コナラ、クリ、クヌギなどが混交する雑木林を維持していこうという考えと、植生の遷移にまかせて極相林に戻そうという考え方があります。人手を加えることによって維持され、植物遷移を目的とする時点で止めて、現状を維持する方が望ましいと考えます。なぜなら、そこには生物の多様性が出現し、ヤマユリやササユリ、ギンラン、キンランなど、人が深く関わる環境で生育する生物がたくさんいるからです。
        [参考文献:みどりの荒廃と保全(長谷川 康雄)を改変]


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