オラが平成元年に最後の試合をやったのが現役最後の試合。それから5年の歳月を経て田舎町でスタートした大崎クラブなるアマチュア専門クラブであるが後にプロになって東日本新人王決勝まですすんだ佐藤直之、現在プロで2戦2勝の金沢孝幸のたった2人の選手を排出した。
平成7年夏、2人を連れて国体予選少年の部に出場。オラにとって6年ぶりのリングだ。しかもセコンドとして。
「う〜ん。やはりリングはいいなぁぁ。懐かしい」
オラの心の中はメラメラと燃え上がっていた。ここがセコンドとしてのスタートだと私の血は踊っていた。軽量級から試合が開始され、我がクラブのフェザー級金沢孝幸が最初に登場した。
「よっしゃーっ。いっちょうぶっ飛ばしてやれ!」と金沢にはっぱをかける。そして試合のアナウンスが流れた。
「ただいまよりフェザー級1回戦両選手の紹介を行ないます。赤コーナー○○くん、△△高校」
バチバチ・・拍手の音が。そして金沢の紹介の番だ!!
「青コーナー米山君、金沢高校ーっ」
どてーっ!!名前と高校名が逆じゃん。オラのクラブから初めて選手出場したのになんじーい。まちがいやかって!
金沢がリング中央に行き相手とグローブを合わせる。オラはコーナーしたの椅子に座った。金沢がコーナーに戻って、カーン!とゴングが打ち鳴らされる。相手はゴング開始から積極的に打って出る。金沢クリーンヒットは受けないが後手にまわる。はらはら。相手が踏み込んだ瞬間だった。金沢の強烈な右ストレートがカウンターとなって相手は
前のめりにキャンバスに倒れていく。やったーーー!!たった一発で倒しやがった。しかし・・・
倒した金沢、リングの中をウロウロ。ダウン取ったら速やかにニュートラルコーナーに行かなくてはならないのに。
外野から「金沢、ニュートラルコーナーへ行け!」の声が飛んだがニュートラルコーナーが何処か分からず青コーナー行ったりウロウロ。
「やべえ!ルール教えるの忘れた」おどおど。。
レフリーの再三の指示で金沢ニュートラルコーナーへ。そして相手は立ち上がった。金沢は今度は猛烈な連打。
「ストーーープ」レフリーが試合を止めて自コーナーに両選手を戻す。よしゃーっ。勝ったぞ。しかし、金沢は浮かぬ顔してコーナーに戻ってきた。倒したのではなくストップされたので意味が分からなかったようだ。
「お・・おれ・・負けたんですか?」
「な・・何?勝ったんだぞ。レフリーストップで」
それを聞いて金沢は表情明るくなって
「なーんだ。勝ったのか。楽勝ですね!」
おい。こいつ・・・・。
そしてアナウンスが流れる
「ただいまの試合は青コーナー金沢君。米山高校の1ラウンドRSC勝ちでした」
よっしゃーっ。よっしゃーっ。今度は名前は合っているぞ!!
試合後、大会役員が近寄ってきて。
「あのね。ボクシングの試合やる前にルール教えなさい」
あらま。すんません。(心の中では勝ったからいいだろーー。へっへっへっ)
かくして我がクラブ最初の試合は勝利だったのだ。これがスタートだぞ!!
だが1年後、選手いなくなってクラブはつぶれた。
(2000年3月16日更新)