タイのシエンピチャ・シッチャセイは刈谷の上下の打ち分けを浴びてロープ際に後退する。しかし、こんな展開でまさかという事態となった。何とレフリーのサラサスは二人の間に入りTKOを宣言。シエンピチャはダメージはほとんどない。刈谷も「何故?」と言う顔でレフリーに問い掛ける。
勝った刈谷も納得出来ずにリングで呆然とし、会場から「早い!」との罵声が飛んだ。
不完全燃焼ながら勝った刈谷はこれで12勝(3KO)1敗。十分通用すると思うので次こそは日本ランカーと対戦して欲しい。
そして次の試合はメインの日本ライト級王座決定戦。地元宮城の小野淳一がリングに上がる。対戦相手は1位の木村登勇だ。実は木村は仙台はまったくの適地ではない。元は仙台ジムに所属し試合を行った事がある。その頃、オラのジムの選手も木村にスパーリングの相手をしてもらった事があり地元の小野と木村はどっちを応援してよいのか迷ってしまう。複雑な気持ちで私はリングを見つめた。木村は私のジムの選手とスパーをした事を覚えてはいないだろうが、こんなエピソードがある。私のジムの選手はその頃は間ですパーリング経験もほとんどなく、当然し合いもやったことがない。当時は木村はプロで3連勝中で実力差があったのでこのスパーはけっこう流して相手してくれたのだ。そのスパーリングを見ていたトレーナーが木村が打たれると激怒。普通はトレーナーに怒られると本気になってしまうものだが、木村はいっこうに本気になる気配もなく、ジム中に響き渡るトレーナーの声を気にする事も無く、オラのジムのボクサーをつぶさずにしっかりレッスンしてくれた。木村はいい奴だなとその頃は思った。そして小野は高校から知っている選手で何度もプロアマとも生で試合を見て応援している選手だ。そう心の中で思ううちにゴングが鳴った。サウスポーの木村に対して小野は左のカウンターを見舞う。木村は顎を打ちぬかれガクン!と膝を折って倒れかけた。
完全なるダウンかと思えば木村は小野にしがみつきかろうじて膝をキャンバスにつかずにダウンを逃れる。小野のペースではじまったこの試合。次のラウンドに衝撃のシーンが・・・。
何と今度はサウスポーの木村の左ストレートが小野の顎に命中。小野はつぶれるようにマットに倒れた。ダウンした小野は少し足に来ていた。足を確かめながら立ち上がった小野は試合を続行する。3Rからは一進一退の互角の展開に終始した。小野のかつてのボクシングは踏み込みが早くパンチも早かったが、ほとんど下がる事が多くジャブも出ない。手打ちになる展開が続き互角の展開のまま10Rを終える。
判定は2人が96−95。もう一人が95−94。いずれも1点差で木村を支持して木村は3度目の挑戦ではじめてのタイトルを獲得するのだ。
終わってみれば初回と2Rのダウンになったかならなかったかが勝敗を分けたと思います。
勝った木村はセコンドと抱き合って喜びをあらわにしていた。小野はうなだれていたが、以前のボクシングには程遠い。昔、日本タイトルを狙っていた頃のボクシングはいったいどこへ・・・
私は試合が終わると会場を後にして3脚を忘れた吉野屋に向かったが会場までの通りに何軒か同じ店があり私はどこで食べたのか今更ながら記憶していなかった。店のガラスごしにそーと店の中を覗く。店の配置。トイレの位置。オラは「ここだ!」と思って店の中に入り店員に「3脚を忘れたのですが・・・」と尋ねた。店の女性はスタッフたちに聞いてまわったが誰も知らないという。オラは諦めきれずに「4時前にここに来たのですが・・」と再び言うと店の店員はしぶしぶ再び探しはじめた。しかし、見当たらないという。私はガックリ諦めて店を出た。
「あー。吉牛め!もう二度と食うもんかー!覚えてやがれ。今日、最強の客を1人無くしたんだからなー」
と心の中で何ども叫んでいた。
試合は木村の勝利で終わったが私は複雑な心境だった。前回、湯場も敗れ今回も敗れこの先、小野はどうなるのだろうと考えていた矢先、ふと見ると違う吉牛が目に入った。こうなったらやけくそだ!
「オラの3脚ありませんかー」
と言うと、若い女性の店員はニコニコしながらさわやかに「保管してありますよー」
「あーーーーー!!!!!この店だったのかーーーーー!!!」
オラは無くした3脚をもらい、席についた。
「並み盛くださーい」
私は250円払ったが、決してここのファンは辞めないと心の誓ったのであった。
終わり
(2001.12.9作成)