はじめに
真田幸村との出会い

真田幸村という武将を皆様は知っているでしょうか?私が真田幸村を知ったのは1975年4月から1977年3月までNHK
で放送された人形劇「真田十勇士」でした。真田十勇士は猿飛佐助、穴山小助、霧隠才蔵ら幸村家来である忍者が
戦国末から江戸時代初期に活躍した物語。私は当時は幼く真田幸村という武将が実在の人物であることなど
知りませんでした(実名は信繁であるが・・・)カッコよく優しく佐助ら家来が慕う。敵はあの徳川家康。
 それから時が流れ私は高校三年でした(1981年)。歴史は少ししか興味はありませんでしたが当時若くて美しかった
松坂慶子が番組のCMで「帯をとれ」と言われ時代劇で脱がされるシーンがありこれににそそわれ見てしまったのが
TBS放送の「関ヶ原」。この番組は石田三成が主演という珍しい番組で大河ドラマよりレベルが高くスタッフもすごい。
このドラマに1シーンだけ出てくる人物に驚いた。昨日まで漫画の主人公的な感じの真田幸村が登場している。
「真田幸村」って本当にいたんだーー。この番組は幸村はここにしか登場しない。西軍についたのだから負け組なのか?
どうなって負けたのか気になり始めた・・・。私は調べ始めた。そして私の真田幸村ファンを決定づけたドラマが
始まる1985年から1986年にNHKで放送された「真田太平記」
  真田幸村という男、知れば知るほど好きになっていく。やさしさ、かっこよさ。日本人が好みそうな判官びいきな
ところを併せ持ち、優しく、怒ることを見たことがないといわれる武将ながら戦わせれば「日本一の兵(つわもの)」と
言わしめた戦国最後にして最強の武将であった。
さて、関ヶ原に話は戻るが幸村は負けてはいなかった・・・。およそ十倍以上の敵に対して勝利を収めている。
大坂の陣、たったの五千の兵力で敵二十五万の大軍と向き合った真田丸。
ぜひ、真田幸村を知ってほしいと書いた文章です。

第一話は後ほど書きたいと思います
信州に舞台を移して若き日から始めます

ひとまずここまで

2008.8.20