泉田桜通り(新庄市)




泉田桜並木ものがたり
新庄市の泉田小学校・萩野中学校前通りに入ると、古木になった桜並木があります。新庄では四月中下旬頃から桜が咲きますが、泉田は3〜4日遅れて見頃となり、ここは見事な桜のトンネルを作るので有名です。また、通りには十八世紀頃に建てられた国の重要文化財「旧矢作家」もあり、花びらが舞い落ちながら見せてくれる、日本の美しい伝統風景に心奪われます。
 このような素晴らしい桜の名所となった由来には、泉田小学校ととても深い関わりがあるということです。
大正十四年頃、泉田駅が設置されると、萩野村の発展を計ろうと、駅から黒沢までほぼ一直線の道路が造られました。また、道路と共に旧庄屋奥山家の側にあった泉田小学校をこの沿道に移すことが決まり、大正十五年七月、現在地に新築しました。
当時の学校長高橋佳喜三先生が、学校建築記念と環境整備を兼ねて、学校前道路両脇に桜苗木を植えました。作業は当時高等科と補修課担任の木村先生を主任として進められましたが、広々とした茅野の中の新道だったので並大抵ではなく難儀したということです。苗木は一メートルくらいの大和桜で、支柱もろくに無く、倒れるもの枯れるものあり、その管理に心を痛めたようです。そのため校地内に多少の本数を仮植しておいて取り替えながら、昭和二年から始め四年間ぐらいで全本数を植え終わることができたということです。
この桜が初めて開花したのは昭和五年の春で、高橋校長が大蔵小学校へ転勤していた春なので、木村先生は手紙に花びらを入れて非常に喜ばれたということです。