元日銀15代総裁 結城豊太郎成長の地 秋葉山を訪ねる
令和4年8月2日
山形県は貧乏な県であるというと多くの人がうなずく。
こん畜生と思いながら山形県出身の日本銀行総裁を勤めた人間は3名いるというと
別の意味で感心されてしまう。まことに情けない。
さて、その日銀の第15代総裁だった結城豊太郎の出身地はここ山形県南陽市宮内で
ある。
ここは熊野大社で名を知られている地であるが昭和の初期の頃は織物で栄えた町で
あった。日本に外国からの自動車が入ってくると山形県の業者は真っ先にこの地の
富豪へ売り込みに走ったそうだ。その頃の名残も昭和40年代までは残っていたのだが
現在はほとんど無い。
今、訪れて今の町の姿を見れば前出の話は嘘と思えるだろう。
さて、結城豊太郎が若かりし頃に勉学に疲れるとここ秋葉山に登り英気を養ったとの
ことである。
このことを知ったときに秋葉山とはどこにあるのかと関心をもって調べたことがある。
一方、私は別の視点からここ秋葉山を知った。
宮内の町に新潟方面から入ってくると東の山の頂上付近に聳えて見える奇妙な建物がある。
道もない山の頂上付近に何故あんな建物があるのかと地元の人に聞くとあれは秋葉山荘という
ものだということだった。 アッ それではあそこが秋葉山なのかと改めて名を確認したのだった。
次の写真の山腹に光輝く所が秋葉山荘です。
そのようなことで令和元年の秋頃に道を探しながら車で山中をさまよった。
ようやく道が見つかったのだが狭くて急こう配、砂利道の荒れた道。とても普通自動車で
は辿れなかった。
高い山ではないので歩いて登ろうとして車を空き地に置いて登ろうとした時に畑仕事の人に
出あった。ここから歩いて登れますかねと聞くとその人はニヤリと笑い"熊が出てる、今が一番
危ない"とのたもうた。これを聞くととても一人では登れなくなり再起を図った。
秋葉山への地図
令和4年の8月2日に近所の友人のT君が私と同じ山が好き、しかも軽の4W車を持っている。
彼も秘境の地の探索が好きな人間で前にも何回か二人で行動していた。さっそく誘うと意気
投合しての出発となった。令和4年8月2日のことであった。
山形市から金山部落方面の道をたどりすぐ秋葉山の北側の地に出る道を走った。途中には
鬼面石などという奇勝地もある。
依然に私が車で来て熊が出るぞという言葉で戻った地点から山道を辿った。
やはり普通自動車では無理であった。4W車のおかげでグイグイ登れたが4Wでも戸惑う地が
何か所もあった。
ようやく正面に例の下から見上げた建造物が見えてきた時にはホッとした。
結構しっかりした建物である。 看板に秋葉山荘と書かれている。
改めてこのような僻地においては強い味方となる軽4WDに感謝をした。
私の普通車では絶対に来れなかった。
今日は最高気温が36.5℃だったと後から分かったがとにかく
暑い日であったがここはいい風が吹く絶好の避暑地であった。
さっそくコーヒーブレークとしゃれこんだ。
建物の中をガラス越しに拝見すると綺麗に整理された居心地の良い山小屋風の部屋が
見えた。
電気はどうなっているのかなと裏側に向かったら次の写真のような
太陽電池パネルが設置されていたので電気に関しては万全なのだ
ろうと判断した。
眼下には宮内の町と置賜平野の光景がが大きく展開して居る。
この光景を遥か故人の結城豊太郎も見たのだろうと思うと何故か大きな感動を
覚えた。
正面の雲の後ろが飯豊山である。
このような地で夜に眼下の眺めを目にしたら子供たちの地元に対す
る畏敬の念も深くなるのではと思う。
このようなことを考えながら又T君の運転で家路についた。
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