驚異 朝日岳に軍道を通した戦国武将の豪胆さ
朝日岳連峰は山形と新潟の間にある峻険な山群である。
主峰は大朝日岳で1841mである。御影森山1534m、平岩山1609m、
中岳1812m、西朝日岳1814m、竜門岳1686m、三方境1591m、
北寒江山1695m、以東岳1771mと険しくて稜線が狭いまるで包丁の
刃のような山が連なっている。こんな山の稜線に道があるなどと誰が
信じようか。
ところがあるんです。この道は朝日軍道と呼ばれていました。
総延長65Kmで長井市の草岡という所を発して葉山に登るとそこから
大朝日岳を経由して前述した山々の尾根伝いに庄内の朝日村増渕まで
続きます。すべて山のてっぺんの稜線をぬって続いています。
次の写真がその軍道のなごりです。今は登山道となっています。
さて私は3Dプリンタを使用してこの朝日軍道がどのような経路で
山々を越えていっていたのかを知りたいと思い3Dの立体モデルを
制作してみました。安価なプリンタなので所要時間は14時間でした。
その完成モデルが次の写真です。サイズは15cmX15cmです。
中央部の黒い線が朝日軍道の経路です。
この道が全て1500mを越えた山の頂上部を見事にぬっているのが
分かると思います。こんな道が60Km以上も続いていたとは驚きです。
山の稜線を行けばどこにでも行けるでないかという発想には
度肝を抜かれます。

さて、こんな道を作ったのは誰なのか。それは上杉家重臣の直江兼続です。
関が原で西軍に付いた上杉家は移封され米沢の30万石の小大名となりました。
そしてその所領の一部には庄内を含むものでした。
とにかく上杉藩としては何とか庄内と内陸を結ぶ交通経路が必要な状態でした。
そこで直江兼続は考えたのです。米沢から庄内に行くのに最上義光の領域は
通れない。それなら長井に出て朝日岳山系の稜線を進めば良いでないかと。
そして直ぐにその考えを実現するべく行動して工期1年という驚異的早さで道を
作ってしまいました。重機なんか無い時代ですよ。大勢の人夫の動員のみでした。
道は主に修験者道とマタギの狩猟道を繋ぎ合わせた工事の形態でした。
これが後に朝日軍道と呼ばれた道です。
それにしても考えが豪胆ですね。やはり直江兼続は只ものではなかった。
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