日本の再生は工業技術の再生から
平成10年
現在の日本の惨状は10年前には考えられなかったことであった。
しかし、当時にも我々仲間の間での語り合いでは心配の兆しを語り合っていた。
それは、会社が独自の技術を持ち得たとしても会社の技術関係の人間には光が
照たらず、関係のない流通や金融関係の人たちがその技術というオブジェクトを
勝手に操り、金融ころがしの材料にしている姿を見て「おい、何か変だな」と技術
関係者たちは杞憂の念にかられていたことを思い出す。
本当なら、一度得た技術はとことん練り上げて、世界で最も優れた技術に成長させ、
競争相手がいない商品までに成長させていかなければならないのに、当時は、「経費が
かかる。このままでも利益は入ってくる。開発はここまでで良い。あとは止めろ」と
言われた沢山の技術者を知っている。
冷静に考えれば、技術の世界では一歩でも立ち止まったなら負けということは真理
なのだが当時は無視された。
マスコミも、「世の中は裕福になったのだ。なんであくせく働く必要があるのだ。遊べ遊べ」
とあおったことを忘れてはならない。
コツコツ物を創るよりも、物を右から左に移動させるだけで巨額の利益が転がり込む
世の中だったことが日本の全てを狂わせたと言える。
私は平成元年に文部省事業の中で世界の教育事情視察をさせていただいた。
衝撃を感じたのはイタリアであった。
私はイタリアの工業力などは大したことは無かろう。自動車のフェラーリにはかなわぬが、
アルファロメオがすぐ錆びることで有名なことなどから考えれば工業技術力は日本の敵で
はないし、ましてや教育特に工業教育力などたいしたことをやっておるまいと勝手に心に
描いていた。
ところがイタリアのPRATOという片田舎の町の工業高校を訪問して驚いた。
次の写真で示すのが当時の生徒の一斉実習での作品である。
カウンタであるが何と6桁である。当時の日本の工業高校では、経費的にも無理で感覚的
にも2桁が精一杯で6桁など意識の中に入っていなかったと思う。
2桁でも6桁でも原理に大した変わりはないだろうというのが日本人の発想だが、
やはり外形的にも6桁というのは重要である。
一歩でも本物に近づいたもの造りが出来るということが若者の意識成長に大きく作用し
ていくものであるから安易な安物造りをしていては良い教育とは言えません。
片田舎の工業高校がこのような作品を製作しているのかと私は衝撃を受けた。
よく注意してみると、外国はどこもそうだったが、訪問客に合わせて特別授業を組むなどという
意識は全然無いのが常であった。このような製作品が乱雑に転がっているのをみると特別品では
なかった。しかし、日本に帰国した後にこの事実を多くの方に告げても誰も本気には取り上げて
くれなかった。考えてみれば工業に関する国民の意識の差はあの頃に既に発生していたと言える。
さて、これからどうする
問題は今後である。現在のままでは国内に独創的なものを創る企業は無くなってしまい、
外貨も無くなり、食料品等の輸入も困難になり、若者は荒れて貧富の差が大きい社会となっていく。
このことに国民は本気で対応を考えていく必要がある。
私はしばしば若者たちに、「現在の日本の工業力は世界の中のどのレベルか」?と問うが、
まずほとんどの生徒は、「日本は世界のトップです」と答える。
これは生徒だけでなく、一般の大人の方たちも同様である。
この意識があるということは誰もが「何とかなる」と考えている証拠である。
現実はとてもそのような状態ではない。
もの作りの現場にいる人たちは知っている。日本で真の意味での世界のトップ製品と言えるものは
皆無に近い。世界中のコンピュータはほとんどが台湾・中国で製造されており、国内での生産は細々
である。メモリーや半導体はもう国内での生産は無理、液晶の生産量も韓国の後塵を拝している。
造船、製鉄や粗鋼生産も凋落、自動車が何とかトヨタ、ホンダが引っ張っているが、現実は国内自
動車生産企業大手6社中4社は実質外国企業である。
しかし、ある分野ではまだまだ世界のトップをいっているものもあるがほんの少しであり、国内全部の
企業が関係するのはとうてい無理。何とか別のトップ分野を作らねばならない。
さて、これから日本がやるべきことで我々が出来ることは次の点であろう。
@ 日本は「もの創り」や「もの造り」でしか生きていけないということを国民一人一人が認識する。
A 技術教育は世界の流れから取り残されていることを知り、徹底した技術教育の充実をする。
高校・大学での実習装置のお粗末さは目を覆う惨状である。−(すぐにでも博物館を作れるほどです)
B 英語で、技術論争、特許係争上のやりとり、見積書や注文書のやりとり、規格設定、決済等を
やれる力を付けさせる教育を実現する。 英語のマニュアルが読めなければ設計は出来ないと思え。
その実例をホームページのテーマとしてあります。ご覧下さい。
C 技術系人間が社長になれる社会を作っていかねば、日本の工業力は強くならない。
(諸外国と大きく異なる所である。金融関係者が表に出てくることは二流の工業国の証である)
D 都合の良いときは「もの」に頼り、都合悪くなると恩を忘れて「もの」を非難する精神構造を改める
べきである。 −−「もの」が人間社会にプラスしている事実を実感し感謝しなければならない。
(ものを非難することが是とする風潮が全てを悪くしている)
いずれにしても長い年月がかかるでしょうが。
以上のことが実現しないうちは、日本の再生は無理である。
何とか国民全体で日本の現状を理解し、全員で技術力溢れる「もの」の生産を目指していかねばならない。
なお、「もの」とは、工業製品だけをいうのではなく、芸術品やデザイン、薬品、アイディア、特許等の
広い面をも含んでいることを理解しておいていただきたい。
(要するに額に汗しないで、ものや資金をを右から左に移すだけで大金が得られるような社会になって
はだめですよということを言いたいのです)
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