登っていく途中に一年峰の南側ピークが見えてきます。
岩が切り立っている独特の姿です。頂上に建てます。
とにかく異様な姿を持っているので、すぐに目につきます。
今からあそこに登るのだという気分にさせてくれます。
15年以上も前に山形東濤会の何人かを連れてこの磐山の頂上で弁当開き
をしました。みんな若かったなぁ。
次の山塊も異様な姿です。頂上に昇れます。

奇岩が至る所にあります。特に次の写真の岩は半ドーム状になっており
まるでハワイでサーファーが頭上から落ちてくる大波の下をかいくぐって
滑り抜けようとするパイプラインのようです。

全山に松が多く見られるのですが残念ながら相当数が枯れており何か保存の
処置をしないといけないのではないかと感じます。

ここに来るまでには鎖が垂れている岩場を登ってきます。
スリル満点の気分が体験できます。
南の方角を望むと米沢市が見えます。八幡原工業団地が目前に展開して
います。
悠久からの時の流れと今が同居しているような何とも言えないような空気を
味わえます。

以上簡単にこの霊峰一年峰の姿を紹介しましたがここで重要なことは慈覚大師円仁が
関わっているということです。
ここ一年峰の姿を見て分かることは全山が岩山であるということです。
慈覚大師は修行の場として岩山の地を選んで設定しているということが分かります。
ここ一年峰の次には円仁は修行の場を山形県の中山町長崎の西の山奥の岩谷(いわや)に
移したと言われています。ここも山々がノコギリの歯のように連なっている人跡稀な
山岳地です。
ちなみにここ岩谷は人気ドラマ[おしん]の生家があった所です。おしんはここで生まれ
たのですよ。古い家を中心とした撮影セットは現在は庄内鶴岡の映画村に移設されて
います。これも何か円仁さんと苦労することの大切さを教えてくれるという点では一致
する所があるような気がします。
当時私はその生家を見に出かけました。まったくの山中に残っていた岩谷の集落の
古い家々、小川、樹木、墓地、小さな社等を上手にセットとして昔の村の姿が見事に
再現されていました。
おしんはやがてここを出て酒田商人の家に奉公する道を選びます。そのためにこの地の
西の山々を越えた左沢に行きそこから筏で最上川を下る有名なシーンへとつながって
いきます。おしんの原点はここ岩谷です。
でも今はまったく何もない森になっています。
集落の西側奥にあった円仁が修行した地は山全体が荒れていて入ることは困難に
なっています。当時私が山に分け入ろうとしたら地元の人に「マムシがうじゃうじゃ
だぞ」と言われ立ちすくんだことを覚えています。 今は熊も確実にいますし入れません。
慈覚大師は人が多い住み心地の良い所を修行の場にはしませんでした。
私は大師が修行のために移動した痕跡を辿ることは大師の大変な苦労の一片を感じ取れ
るのかなと思い追っかけを実行しています。
大師は岩谷の後に山寺へと移られ立石寺を中心とした一大聖地を作り上げていきますが
その基盤つくりの基礎はここのような忘れ去られた地での修行にあったわけです。
ここ一年峰、岩谷を訪れると慈覚大師の苦労がよく理解出来ますよ。
昔の人は偉かった。
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