イザベラバードが辿った羽州街道を訪れる
令和2年5月12日
明治11年英国夫人のイザベラバードが従者一人を伴っただけで東北地方を
訪れた。今では全く考えられないことで彼女の偉大さには頭が下がる。
この時の紀行記が残されているがそれを読むと我が山形県の山間部の生活
は本当に牛馬一体の生活で雨になると泥にまみれた環境であるなどと記され
ていた。
さて、令和2年5月12日は天気が快晴となった。
私は眞室川町の東方にある廃校になった小又小学校の姿を撮影に向かった。
帰り道は一度国道13号線に入り金山・新庄という経路で帰るコースをとった。
釜渕駅から南進するが新庄市までの途中に金山の町があることになる。
金山に入るには旧羽州街道があることを思い出した。
現在、この道は全くの脇道の位置づけになってしまいほとんど通る人はいない。
私はこの道を以前に大変苦労して通ったことを思い出し、現在どのようになっ
ているか確認したくなった。
さっそく現地に向かい秋田側からの登り口から通り始めた。
下の写真がその入口である。
この向こう側が金山の町となる。
ここからが中ノ森峠となる。地図もきちんと掲示されている。
案内看板には森合峠となっているがどちらがどうなのかは私には分からない。
峠の頂上は広場になっている。
ここには記念碑や巨大な石のモニュメントなどがある。
ただものではないという雰囲気だ。
よく読むとここ金山をあの文豪田山花袋も訪れていたことが分かる。
花袋の歌も刻まれている。
月山のことがよほど気に入ったらしい。
峠を過ぎると一気に下り坂になるがここが羽州街道の名残りをとどめている
名所になっている。
整然とした杉並木をみているとここを大勢の人が荷物を背負いながら
ゆっくりと行き来する姿が目に浮かんでくる。
さて、峠を下り終わると又ちょっとした広場があり記念碑なんかも出てくる。
この辺に住んでいた俳人を記念した碑であり俳句の世界では名が知られ
ている存在とのこと。
ここが金山から北に向かう時の峠の入口である。
当然にイザベラバードはここから峠に向かったことになる。
以上が久しぶりにイザベラバードの道を訪れたレポートです。
それにしてもこの道で出てきた多くの史跡にイザペラバードのことが
記されたものがほとんど無いことにはガッカリした。
ぜひ彼女の足跡を記した碑も欲しいと強く思いました。
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