次年子の新しい潮流  2018年6月8日記事
 山形県北村山郡大石田町次年子は今では蕎麦の名所の地になっている。
 昔は冬に生まれた子供の戸籍届を次の年にならないと届けられなかったから
 この名称になったなどという説があるほどの山形県有数の豪雪地だった。
 でも現在は道路が整備され車の時代になるとむしろ落ち着いてじっくりと
 生活出来る土地になっている。
 2018年6月8日は大変良い天気になった。久しぶりに美味い蕎麦が食べたく
 なった。いつも新緑の時は次年子に行く。今回も次年子だ。
 何しろここの蕎麦は食べ放題だ。町の中の少量の蕎麦では私は満足出来ない。
 国道13号線を北上して楯岡を過ぎてから左折れして富並に向かいそのまま
 直進していけば次年子に着く。
 今でこそ素晴らしい道路で何の心配も無く着けるが私が初めて訪れた昭和
 40年代はとても大変な地だった。今は前よりもずっと住みやすい土地になった。
 次年子は今やそば処として県内外に有名になった。
 蕎麦屋は複数の店があるが今回は山形市から一番近い店に入ることにした。
 看板が見えてきた。店はこの看板の左側の高台の地にある。



 駐車場は店の前と北側に結構広くとってある。
 今回も車のナンバーはほとんど県外ナンバーだった。
 東海、八戸、福島、宮城、春日部等のナンバーが並んでいた。
 どんなルートで此処に来たんだろうと疑問を持ってしまう。



 玄関が高いのでお年寄りは(私もお年寄りだが)にはきついと思う。


 値段は食べ放題で1200円。蕎麦は頃合いを見て黙って次の蕎麦を置いていく。
 蕎麦湯を注文したら打ち止めの合図だ。私は3杯で終了した。
 私の隣に入ってきた若者たちはアッという間に3杯食べていた。いったい何杯食べるのやら。
 この蕎麦屋の特色は働いている人が全て女性であるということである。
 元気な威勢の良いお姐さん(お姉さんではない)たちがきびきびと働いている姿を見るとこちらも
 元気になってくる。



 こんなわけで私は十分に蕎麦を堪能して次に次年子小学校に行ってみた。
 次年子小学校は当時は全国でも珍しい円形校舎であった。
 私もここで行われた県レベルの教育研究発表会に参加した時に知ったのだった。
 次の写真が今の学校である。



 玄関の所に近づいてみた。
 すると人が出てきた。挨拶をして中を見せて貰えるか問うとすぐにOKとなった。




 入ってみて驚いた。なんと陶芸工房になっていた。


 別の一角は大物の製作室だった。
 何を造っているのかなとみると何と風呂桶、バスタブだった。



 あっ! テレビで見たと即思い出した。
 そうだ特注で風呂桶を造ってくれると聞いていた。
 最近はホテルや旅館の貸し切り風呂などに好評で先日も群馬県のホテルに
 納品したばかりだと語っていた。



 ついでに校舎を見せて貰うことにした。
 3階は体育館になっていた。そうだ、私も昔ここに座って発表を聞いたのを
 思い出した。



 結構広いスペースになっている。
 昔は大勢の子供たちが大声を出して動き回っていたのだと思うと寂しくなった。



 天井部の構造をこんなにはっきり見れるところは珍しい。
 それにしても頑丈な構造に驚嘆する。


 ここの当主は高橋廣道氏である。
 氏は1971年生まれの東京出身でここに2011年に次年子窯を構え、
 潟uリッジを立ち上げ現在に至っている。
 信楽焼の伝統工芸士でもあり多くの賞を受賞している芸術家だ。
 受賞歴としては2001年に大阪トリエンナーレ特別賞、2003年に
 朝日陶芸展奨励賞がある。
 こんな有能な若者がこの次年子の地で活動してくれているのは有難い。
 彼がそもそもこの地に来るきっかけは、以前から大石田町を拠点にして
 陶芸家として活躍しているフランス人のブルーノ・ピーフルさんとの
 交際がきっかけになったとのこと。

 とにかく人と人とのつながりは大切であり、一人の人間の個人としての
 存在を更に大きな姿に成長させてくれる。

 今回の高橋氏の行動を見るとそのことを実感させられる。
 私はこの後時間もなかったため次回の再訪問を約し工房を辞去した。



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