秘境シリーズ 間欠泉の温泉探訪記
飯豊 広河原の間欠泉を訪ねる 平成14年8月30日
前から山形県内に間欠泉があり、その泉は温泉だという話を聞いていた。
また、登山者の話として、河原の周辺にスコップで穴を掘り、
そこに泉の温泉をため込み入浴したという話も聞こえていた。
このような話を聞くと猛烈に行きたくなる私であるために、ぜひ、行きたいという
気持ちで一杯であった。
しかし、なかなか行けなかった。今年平成14年 ようやく退職となった。
さあ行くぞという気持ちになった。しかし地図を見ると何も無い空白の地帯である。
これは簡単には行けないのだなと自覚した。
平成14年7月19日にいよいよ一人で出発した。(家のかあちゃんは、人跡未踏の地帯と
なると絶対に同行しない)
白川ダム湖岸のフォレスト飯豊で昼食をとった。誰も客の居ない豪華な食堂を貸し切りでの
食事であった。
いよいよ白川ダム上流の広河原を目指した。ここまでいけば何とかなるだろうとの考えであった。
ダムより7キロほどで広河原の部落に着く。昔は相当の戸数があったのだろうが、今は点在である。
この部落を後にして道をどんどん上る。やがて道は狭く、川は険しくなっていく。
やがて次の看板が出てくる。でもここから7.5キロもあるのかとガックリくる。
川は急峻に、そして護岸ははっきりしなくなる。
とにかく川と道の間の明確な境界が無くなっていく。だんだん心細くなっていく。
この日は曇っており、雨は降っていなかったのだが、2日前には大雨が降っていた。
悪い予感がしてきた。案の定、次のように道が冠水しているでないか。
このような状態が何カ所も出てくる。段々水量も増えている。しかもここから現場は7キロも先である。
天候も曇ってきた。人の気配は全くなし。これでは帰れなくなる可能性もある。
結局いろいろ考えたが残念ながら退却することとした。
再度の挑戦 8月30日
8月も最後になり、少しは涼しくなるかと思ったのに、天気は益々元気である。
連日30度を超えたムンムンの日が続いた。とても下界には居られないという状況である。
そこで考えた。間欠泉へ行こうと。
天気はもう何日も雨は降っていない。絶好の状況である。勇躍し出発した。
次のような道を延々と7キロ再び愛車で登っていった。
やがて目の前に間欠泉が出現したが、何と立派な建物付きであった。
しかも風呂に入っているでないか。いやあ、こんな山の中にこんな立派なものを建てた人が
いたとは、絶句するとともに、ちょっと予想が裏切られて残念な気持ちもわき出てきた。
さて、大事な間欠泉の様子を見てください。15分間隔位で噴出します。
こんな素晴らしい所に来て、温泉に入らないのはもったいないと私も入浴しました。
鉄分が強く、温度は27度位のぬるい泉質です。検査は平成11年に行われていましたが、
それはこの施設を作った時の検査であって温泉は相当昔から、ぶな伐採の山の衆、いわな
釣り等の人々の間では知られていたようです。
昔からこのように自噴をしていたのですが、一帯は深い草藪の中であったため、知る人のみの
楽しみの桃源郷であったそうです。
入浴していると目の前に次のようにお湯が吹き上がってくるのです。迫力ありますよ。
当日の入浴仲間は7人、郡山市のいわな釣りの人、植物の写真撮りにきた人、秘境探訪に来た人
等の人たちです。ぬるいお湯にゆったりと入り、いわなやとりかぶと、あぶ、ぶなの話等に花が咲き、
本当に楽しい時間でした。本当に温泉は人間を豊かにしますね。
さて、この泉の歴史を語っているのが湯滓とでもいいましょうか。湯の成分の固まりです。
ほとんど鉄分なので真っ赤です。これだけの量が溜まるには長い期間が必要であったろうと
考えられます。
源泉の一つの地域の水質です。どっぷり鉄分です。
さて、いよいよ帰ることとなった。入浴者の一人のとりかぶとの写真撮りに来た人の案内で私も
撮影ができることとなった。
次がとりかぶとの花です。よく見るとかぶとの形をしていました。こんなきれいな花を咲かせるのが
とりかぶととは本当にびっくりしました。
さあ、次の秘境を探しに行くぞと改めて決意をしました。ではまた再見、再見!
再見の日
さて、あれから4年。その後この間欠泉がどうなったか気になっていた。
ある日、新聞でこの間欠泉に宿泊棟が出来て広く観光客を集客しているとの記事を見て
是非、再訪しようと考えた。平成18年6月22日飯豊町白川ダムのフォレスト飯豊に宿泊し
今回はゆったりと出発をした。
ただ朝は激しい雨だったので4年前の悪夢がよみがえり行けないかなと覚悟をした。
幸いにも9時30分頃には雨があがったので駄目もとで出発をした。
道路は大分改良されてはいたが道幅は相変わらず狭く、すれ違いは厳しい。
こんな所に都会から大型のオフロード車がどんどん来るのだからこりゃ大変だ。
今回も出合ったが向こうは常に道を譲らない。困った物だ。
さて、ようやく間欠泉が見えてきた。でも、あれ! 何だか変だぞ。以前の建物とは違うぞ。
立派な建物になっているなあと感じた。その光景が次ぎである。
もっと近づいてみる。正面が玄関です。丁度、沢のどん詰まりに位置しています。
さっそく入浴をすることにしました。入浴料は600円です。
全館がきれいな清潔感一杯の施設に生まれ変わっているのに驚いた。
館内には内風呂が出来ておりここは41度前後になっており助かった。
そして内風呂から外の間欠泉へ出られる形式である。
ちなみに外の間欠泉は混浴となっている。
間欠泉を見てみよう。大分整理されていた。でも全体的には元のままかな。
時間は15分から30分おきに炭酸水の圧力でお湯が噴出します。
噴出量は時間や季節により異なるとのこと。ちなみに今回はあまり高くは揚がらなかった。
館内には貴重な資料も展示されていた。明治から大正初期の時代の当地の様子の写真があった。
やはり何もない時代においては温泉が最大の娯楽だったのだろう。
それにしても交通機関も無い時代によくぞこんな山中まで人々がきたものだと感心します。
次は明治時代の温泉の分析書もありました。
さて、以上のレポートのごとく当広河原の間欠泉は見事によみがえり発展をしていました。
この光景を見て心から嬉しく思いました。
管理者とも雑談をしました。当館は株式会社で運営をしているということにびっくりしました。
訪れる人は沖縄、九州からも来るとのこと。やはり秘境に近いところほど人は来るのですね。
ここは5月から11月までが営業日。しかもこの交通困難地です。お客の数は知れています。
この状況下で運営していくことは相当に困難であることは十分に考えられます。
出資者の熱意が実現させたのだと思います。その熱意に感動します。
さて、当地へのアクセスをパンフレットから引用しましょう。
でも、実際はこんな簡単な道では無いですよ。気を付けて行ってきてください。
料金表は次です。ここの最大のごちそうは豊かな自然でしょう。
まったく周囲は緑、緑の環境です。ゆっくり、のんびり出来ますよ。
ぜひ、訪れてみてください。
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