戦後の地域を支えた蔵王こまくさ分校を訪ねる 
                               令和8年8月4日訪問

 上山市からエコーラインを30分ほど登って行くと右手の方に
 「蔵王こまくさ分校」という指示看板が出てくる。
 進んでいくと一帯は広大な原野と畑地の混在地です。
 この辺りは戦後に外地からの帰還者たちに払い下げられた
 開拓地です。
 また、ここからもう少し登ると蔵王鉱山という鹿野彦吉氏が
 代表だった鉱山がありました。これらの住民を併せると相当
 多くの数の人たちがこの地域で生活をしていました。
 これら地域住民の子供たちの教育を受け持っていたのがこの
 「蔵王こまくさ分校」です。
 上山市や山形市からは遠い位置にあるので分校という性格に
 位置づけられていました。
 今回別の史跡の探索で出かけたのですがその途中にこの
 建物に出会いました。
 以前からまぼろしの学校と言われていて一度は訪れてみたいと
 思っていたので渡りに船でした。

 エコーラインから南方向に分岐する狭い農道に入ります。

 それからこのような道をひたすら進みます。熊が怖い。


  看板らしきものが見えてきました。


 やがて開拓地らしい様相をした地域になります。



 突然学校らしい建物が現れた。


 玄関を探して北側に廻ると建物の正面が見えてきた。


 玄関にはやはり「蔵王こまくさ分校」の文字が!!


 全体は平屋の校舎だ。何となく炭鉱住宅の様相だ。
 高倉健主演の映画「幸せの黄色いハンカチ」に出てくる建物たちに
 似ている。そういえば蔵王鉱山の鉱山社宅もこのようだった。



 北側のエリアはグランドだったのかな。
 ここで大勢の子供たちが大きな声で駆け回っていたのだろう。



 強烈な夏の日差しもこの木の陰に入ると届かなくて高原の涼しさが
 感じられる。



 この学校の正式名称は上山市中川小学校蔵王分校。
 所在地は上山市蔵王字カタカリ2520 となっている。
 学校名は時代の流れと共に何回も変更されている。
 時代という大きな力に翻弄された結果だ。
 学校は平成17年に廃校となっている。
 それにしてもこんな辺鄙な人里離れた地域に学校が建てられたわけだが
 地域にとって本当に大事な存在だったのだということがここに立つと分かる。
 あの遠い蔵王鉱山住宅からここまでどのようにして集まったのだろう。
 ましてや厳しい厳冬の時期に。
 ここは坊平スキー場が間近という豪雪地帯だ。冬の厳しさは格別だったと
 思う。当時の日本はこのような悪環境でも教育を本当に大事にしていたことが
 分かる。
 現在は「蔵王みどりの騎士団」という森林ボランティア組織の活動拠点として
 活用されているようだ。有効に使われていることは大変喜ばしい。

 学校が所在している現在の地域はまだ当時の開拓農家の雰囲気を保って
 いるが周囲には何もなくて数件の農家らしき家が相当の距離間隔で存在し
 ているだけでここの地域時代がどこまで存在していけるか不安である。
 もう一度この学校の存在が人々を集めて地域の活性化を取り戻す中心点に
 なってくれたら良いなあと感じなから学校を後にした。


  戻る