眞室川町 旧小又小学校を訪ねる
令和2年5月12日は素晴らしい晴天であった。
私は山形県真室川町を訪れ、その後に小又地区に向かうことにした。
大変分かりにくい地域で真室川町からここに来れる人は少ないだろう。
多くの人が道に迷い、行ったり戻ったりを繰り返す所で逆の面で面白い所だ。
私は昔、山菜取りで何回か来ていたところだ。
私が真室川町から目的地に向かう道は実は本来道として作られた道ではない。
この道の部分は実は昔ここを軽便鉄道が走っていた線路の跡地なのです。
この道を辿り東側の山並みを越えていくと国道13号に行きつく。
この中間地に小又地区がある。
前述したようにここは大規模な木材の集荷製材加工の地であったので多くの
人が働いていた。
そのために結構人口も多かったので学校は立派なものを作った。
しかし、その後の人口減によりここもお定まりの閉校という運命に至った。
今回は改めてこの学校を訪れ皆さんに紹介してみます。
悪路の山道を抜けると公園になった地に出ます。
正面に旧小又小学校の校舎が表れます。
新しく見えるので最近まで使われていたのでしょう。
もったいないと感じます。
校庭には記念碑が建っていました。
文面です。
これによると 明治27年4月 安楽城村立大沢尋常小学校として開校されている。
昭和51年四月に 眞室川町立小又小学校となり独立したが 平成19年三月に閉校となった。
その間、教育面で数々の表彰を受けている。
昭和54年には学校給食の面で文部省より全国表彰を受賞している。
このような立派な活動を続けても肝心の子供がいないということで存続できなくなったとは
とても寂しいことである。
現在は地域の医療を守るためのドクターヘリの離発着場となり地域に貢献していました。
いつも廃校を訪ねて現地に着いて感じるのは「あぁ、日本は昔の方がどこも生
き生きと生活していたんだなぁ」という切ない気持ちです。
都会だけでは社会は成り立ちません。適度に都会と地方が交じり合って初めて
人間らしい生活が出来る安定した社会が作られるのですが。
地域が強くなる日本をこれから期待していきます。
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