幻の平家落人部落三面(みおもて)の今

 平成18年9月15日はそれまでの雨があがってようやく晴れの様相を示した朝であった。
 この日までは二週間がむしゃらに働いてきたのでここらで自分に休息を与えようと勝手な
指示を出して山形県西置賜郡小国町の三面部落訪問を試みた。
 2年前も行ったのだが、林道の途中がざっくりと崩落しており途中で引き返していた。

 幸いにも今回は林道入り口には通行止めの標識が無かったので今回は行けると判断し
林道を進んだ。

 林道は一車線がやっとの深い砂利道でハンドルを取られるから絶対に速度を出してはならない。
コーナーでは必ず外に振られる。
 コースの外は100メートル以上の谷底であるからまず助からない。
 最も他の県境をまたいでいる林道の例に違わず、最悪なのは山形県側で新潟県側は
危険は少ない。でも落ちれば同じ運命である。十分に気を付けよう。

最初の訪問
 さて、私が平家の落人部落として名高かった三面を最初に訪れたのは昭和50年頃である。
車で小国側から延々と続く鬱蒼とした木々に囲まれたでこぼこ道をひたすら走ったことを覚えている。
 その後は昭和58年に朝日スーパー林道が山形県朝日町と新潟県朝日町を結んで開通したので
その翌年に山形県の庄内側から訪れている。
その後は峠に新潟側に鳴海金山の記念館が出来たのでその時も訪れている。
 昭和59年の時はこの朝日スーパー林道側から三面の部落に入っていった。

三面部落の様子
 この時の三面訪問は印象が強いものであった。三面部落には林道から脇にそれて狭い道路
(というか道らしき道)を進んだら突然小さな手彫りのようなトンネルが出現した。
本当に小さく普通車の幅(昔の5ナンバーだから狭い車幅)ぎりぎりで、高さも無く真っ暗でしかも
途中でカーブしているために先が見えないこれまで経験したことの無いトンネルでした。
 凄まじい閉塞感と圧迫感を感じながらひたすらクラクションを鳴らし、対向車の来ないことを願って
三面に抜けたことを強く覚えている。あれ以来閉所恐怖症の気が出てしまった。
 さて、このトンネルを抜けたときの感動もまた大きなものであった。
 突然目の前に光輝く世界が現れたのだからホッとするとともに何か桃源郷に入った心地がした。
 丁度夏で緑がまぶしくまったくの別世界に紛れ込んだ感がした。
 部落は周囲を深い谷で囲まれており山形側からも新潟側からも隔絶した環境にあった。
 平家の落人説が容易に納得できた。
 まもなく三面の部落に入っていった。部落は道の両側と周囲に点在していたと記憶している。
 そして部落の端には幅の広いきれいな清流が流れており子ども達が水泳ぎをしていた。
 外からの人が珍しいらしく盛んにこちらに手を振ってくれていた。
 知人から三面の家屋には特徴があるからと教えられそれを確認したことを覚えている。
 そのような思い出のある地を再び訪問してみた。

平成18年9月15日小国からの訪問
 天気はほぼ良好。前日までは雨だったので前回のように崖崩れで戻らねばならないかな
と危惧して進んだが幸いにもそのような場所は内容で安心した。
 次が三面までの林道の入り口である。

 このダートをひたすら進む。峠の頂上付近からは大朝日山系の雄大な景色が楽しめる。


 眼下にはこれから行く奥三面ダム周辺の道路が見える。これからあそこまで下るのだと思うと
うんざりもしてくる。

                                

とにかくひたすら下りの道を進む。ダートの道は速度を落として確実に進まねばならない。
40分ほどで奥三面ダムの最上流部地域にたどり着く。
立派な橋が出迎えてくれるので安心する。

ここまでくれば一安心である。ゆっくりと周辺の散策をする。
しかし、昔私が訪れた時の光景はどこにも見あたらなかった。
当然このダムの水の下なのだから。
でも、この空の青さだけは似ていたなあ。
次の写真の再奥は朝日岳山系の西側になります。

 このまま進むと広場が出てきます。

 ここメモリアルパークはおそらく三面の部落を見下ろせる場所だったのではないかと思います。
 ここに三面部落の由来や歴史が展示パネル形式で掲示されています。
 中央の大きな岩石には「三面由来の碑」と書かれておりました。建立は平成12年10月でした。
 ここの資料によると、旧石器時代はこの一帯は住みやすい所だった様である。
 遺跡も数多く見つかっており現在も進んでいる。
 伝説として平家の落人説がある。
 平家の一族であった小池、伊藤、高橋の三家がこの地で合流し、爾来延々と住み続けてきたとの
ことである。次がその三家の紋であります。
 部落民はほとんどこの三家の名字で占められていました。

 しかし、下流の水害対策としてこの奥三面ダムの建造に伴い、三面部落は消滅することになった。
 昭和60年閉村式を行い、集落42戸が800年の歴史の幕を閉じた。
 部落の人たちは下流の村上市、豊栄等に移住をした。
 当然に私の以前訪問した時の光景は何も無かった。
 当時の部落の異様をパネルで見てみよう。

 しかしこの写真でも私が昔訪れた時の様子よりも相当に近代化された観がしますが。
 では奥三面ダムの概要を見てみましょう。左側が小国方面、右側が村上市側です。



 さて、この地と分かれて前進するとやがて奥三面ダムの堰堤が見えてきます。

ダムの堰堤部に着き、そこから堰堤の下を眺めて見ます。

ダムの管理ビルがしゃれたイメージです。おそらく平家の館を念頭に
おいたのではと思います。



 さて、いよいよ旅も終わりに近づきます。ここを通り過ぎると直ぐに舟曳トンネルに入ります。
 そこを抜けるとまもなく山形県朝日村の大鳥を起点とした朝日スーパー林道にぶつかります。
 この写真の右にいくと山形県へ、左にいくと新潟村上市へと続きます。
 残念ながら山形側へは道路崩壊のため通行止めになっていました。

 まもなく又、ダムの堰堤が見えてきます。
 これは奥三面ダムの手前にある三面ダムです。

 この近辺は水力発電用のダムが集まっており、先ほどの朝日スーパー林道を少し進むと
猿田ダムが見えます。
 しかし、よくもまあ、こんな深山幽谷の地にダムを作ったものです。感心します。
 さて、旅も終わりです。
 結局は私の昔訪れた三面部落は完全な幻になっておりました。
 でも、不思議なことに、昔訪れた時の光景が目に浮かび、再び頭脳のメモリーに
記憶させることができました。
 いつまでも三面部落の思いでは私に残ることでありましょう。

  
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