珍しい米沢の光景 平成21年6月5日
現在山形県米沢市はテレビの天地人ブームのおかげもあり観光客が
ひっきりなしである。映画「おくりびと」では庄内地方が観光ブームとなり、
山形市だけはそのまっただ中でポツンと孤立している状況で寂しい限りで
ある。
今回は米沢にある珍しい光景を紹介したいと思う。
最初は直江堤(直江石堤)を紹介する。
米沢市の南方は最上川の上流「松川」であるがここは常に川が氾濫する
地帯であった。兼継は濁流が米沢の町の中に入らぬように壮大な堤防を
築いた。しかし当時は重機などがあるわけはなく、あるのは人力だけであった。
そこで兼継は大きな石をひたすら積み上げる手法で延々と岩石の堤防を
構成したのである。その岩石の数たるや半端ではない。
延々と連なる堤防の姿を見ると感動を覚える。
この堤防を築いた一帯は当時不幸中の幸いとでもいうべきか氾濫した川原には
無尽蔵の岩石があり幾らでも取り出して積むことが出来た。
私が一時米沢に居た昭和38年頃はこの一帯は岩石がゴロゴロと散在する
何もない状況だったが現在は新しい近代的な堤防が築かれ工業団地も出来て
新しい町の香りがする活気ある町に変わっている。
次はその堤の様子です。堤防が岩石で出来ていることが分かるでしょう。
次は北側を見た所です。
南側です。このような堤防が何キロにもわたり築かれているのです。
そして偉いのはこの石を誰も持ち出さなかったことです。
放っておけば次々と石は持ち去られ漬け物石や土台石になったのでしょうが米沢の人は誰も
それをしなかった。兼継の偉業を認識して大切に守り保存してきたことはだだ偉いの一言です。
この堤防一帯は綺麗に整備され、案内看板も設置されており、周囲は芋煮会の会場にも
なり市民の憩いの場になっている。
米沢が偉いのはこのような整備はテレビドラマが始まったから行ったのではなく、ずうっと
以前からこのような歴史的資料に関してはたゆまない保存の努力を続けてきたことである。
次は御成山のスキージャンプ場である。
米沢市西部のりんごの名産地館山地区にあり、米沢を屏風のように覆っている斜平山(なで
らやま)の北の端に位置している。
この一帯は昭和38年当時は広大なりんご畑の一帯であった。
現在は新しい住宅地となりリンゴ畑はほとんど無くなった。
そのために米沢の人たちでさえもこの地区に巨大なスキージャンプ台があることを知らない
人が増えている。
若い人は知らない人が多いし、年配者は知っていても行ったことが無い人が多い。
今回は改めて訪れてみてジャンプ台への案内板等が皆無であり夏になればほとんど訪れる
人はいないことを再認識した。
昭和50年頃まではスキーのジャンプ競技はほとんどここで行われたことが夢の様である。
すぐ側にいくと結構迫力がありますよ。
次の写真で傾斜が結構急であることがお解りでしょう。
次は米沢の目玉「国指定 史跡 米沢藩主上杉家墓所」である。
ここも以前私が居た昭和38年頃はやはり墓ということでもありこの一帯は不気味な暗い
ひっそりとした地域であった。周囲は杉の大木に囲まれており昼なお暗い一人では行く気
にはなれない所であった。
しかしその後米沢市は整備に努め誰でもがお参りに行ける明るいイメージの墓所に変貌
した。
ここの改修は平成6年12月に始まり、ほぼ一年に一廟を修理するペースで行われ完成したのが
平成20年3月だった。
けっして今回の天地人に合わせて改修したのではありません。
広く一般に基金を募り地道にコツコツと改修を進めたのです。
史跡の保存にはお金がかかるのです。
努力のおかげでこの墓所は米沢の紹介等では一躍主役に躍り出た形になっている。
墓所の入り口です。ここからの内部が歴代公の墓所となっております。
次は東側の墓所を見たところです。
次は西側です。上杉景勝公、鷹山公の墓所のある側です。
以上が米沢のなかなか行けない珍しい場所の紹介でした。
もっとも最近は上杉墓所はすっかりメインとなり多くの方が訪れる所となりましたが。
今後もめったに行けない所を紹介して行きたいと思っております。
戻る