何故日本製品は売れなくなったのか   2003年2月

 かつてメイドインジャパンといったら世界中の憧れの時代があった。
 価格は高くとも飛ぶように売れた時代だった。しかし、今は価格の時代に突入し、
その渦に巻き込まれ、日本製品は在庫の山となった。これを受けて日本企業は国内での
生産を取りやめ、社員を減らし、人件費削減で何とか夜露を凌いでいる状況である。
 しかし、このままの状況でいったなら日本には生産工業というものは存立しなくなる。
 中には、「それでよいのだ。今まで物を作り過ぎたのだ。これからは文化と芸術の充
実だ」とおっしゃる方もいる。しかし、若者が働き口もなく、町中でウロウロするような
社会になったなら文化どころの話ではなくなる。
 文化はしっかりした社会の中でこそ存在出来ることは過去の歴史が示している。
 アフガニスタンのあの貴重な歴史的人間の遺産があのようにめちゃめちゃにされ
たことを世界中の人々が認識させられたでないか。
 日本は国を支える根幹をもう一度しっかりと作り直す必要がある。
 ちなみにドイツもフランスも国の基盤は農業であり、その上に各産業が存立しているのです。

 さて、タイトルの日本製品の人気の無くなった原因について考えてみよう。
 結論からいうと「買いたくなるような製品が無くなってしまった」ということであろう。
 例を挙げていくと沢山の事例となってしまうので、論をオーディオ産業に限って見つめて
みたいと思います。

 オーディオ産業の興亡
 
 日本の終戦後はほとんど産業らしいものはなく、食料と物資のヤミ市場での売買が
多くの日本人の生活を支えたのである。きれいごとは通用しなかった。
 私は昭和16年に日立の多賀で生まれた。父が日立製作所勤務のためであった。
 そのために常磐線で山形まで母に連れられて何回も食料の確保に通ったことを覚えている。
 なにしろ蒸気機関車である。座る隙間もない熱くムンムンとした空間に15時間くらい立って
いるのである。
 面白山トンネルを抜ければ米軍機の機銃掃射もあった時代であり、何回もトンネル内で立ち
往生したことをかすかに覚えている。
 いまの状況からは絶対に想像は出来ない。
 その頃の山形は県外人間にはとても冷たく、農家に行っても米や豆があるのに売れないと
言葉荒く返されたことを今でも母は言う。世の中なんてそんなものなのだろう。

 さて、そんな日本を朝鮮戦争が救ったことは全員が知っている。なんだかんだ綺麗なことをいっ
ても結局戦争が日本を救ったのである。
 結局日立市は艦砲射撃と空襲でメチャメチャになり父母は私を連れて故郷の山形に帰った。
 私が小さな時に住むことになった銅町・宮町はその後は特需景気ですさまじい活気となり、
多くの人間が上半身裸で走り回っていた。
 午後の3時近くなるとどこの鋳物工場でも吹きの時間となり(溶けた鉄を型に注ぐこと)、
どの工場からももくもくと煙が立ち上り、あたかも町全体が熱いるつぼの中に居るごとくであった。
  当時の山形市の税金の大部分は銅町の鋳物工場群が支払っていたのである。
 そのことを今の人はほとんどが忘れている。 
 一方、中央では、米軍の進駐軍が活動し、彼らが新しい文化の息吹を持ってきた。
 音楽が盛んになり、ダンスやジャスが盛んになり日本の社会は精神面でも確実に
 立ち上がっていった。

 そんな中で音響機器についての需要がアメリカ兵から出てきた。
 これを受けて多くの会社が見よう見まねで機器の製造を始めた。
 生来器用な日本国民である。たちまち高性能品が多く生産されてきた。
 福音音響(今のパイオニア)、福洋音響(コーラル)、山水、ラックス、電音(今のDENON)、
ニート等のメーカー製品が一流の評判を取り始めた。
 特に山水のアンプは米軍兵士の間で大人気となった。相当数がアメリカ国内に
持ち帰られた。そしてアメリカ国内でも評判となり、輸出となり貴重な外貨を稼いでくれた。 

 時代は昭和も40年代となると日本の社会は安定と発展性を実現した状態となった。
 電子機器やコンピュータが発展し神武景気となり日本国民は思いっきり働いた。
 しかし皮肉なことに昭和も50年代となると国を復興させてくれるきっかけとなったオーディオ
産業が下火になっていったのである。
 多くの家庭にステレオが導入されていったが、一般化すればするほど高級品は売れなくなり、
安い機器のみが売れる傾向になったが、ついには安い機器さえも売れなくなってしまった。
 多くのメーカーが倒産や身売りをしてしまった。
 ラックス、ナカミチ、アカイ、山水、セントラル等の多くが何らかの転身をしてしまった。
 本当に寂しい限りである。
 さて、その売れなくなった原因であるが一口に言うと製品の陳腐化であった。
 デザイン的に魅力のない製品が、価格毎のランクに応じて少しばかり外観のみが変化させら
れた無味乾燥な製品ばかりであったのだから、人が買わなくなっていったのも無理がない。
 次にその無味乾燥なデザインの数々を見てみよう。


 見てわかるとおり、ただ単に四角い穴が揃った、機械的な同じデザインがシリーズと
なり販売されている。
昭和51年当時で上から29800円、46800円、64800円となっており、
価格でユーザーの興味を引き、自然と上のクラスに誘導しようという意図が
明白である。
 本当に無機質で無表情で人間に喜びを与えるもののない単なる箱である。




 次はサンスイとラックスの例であるが同様である。



 我が社のデザインはこれだよ、他社とは違うよという視点はどの会社にも見られない。
 このようなカタログが次々と発表されたのだからユーザーは食傷してしまったのだと思う。
 私も当時は見ても感激が沸かなかったことを記憶している。

 デザイン中心の外国製


 一方の外国製は違っていた。デザインを全面に出してきたのである。考えてみれば
毎日精神面で付き合う大事な機械である。無機的では駄目で、ユーザーが使う喜びを
感じる製品でなければならないはずである。
 当時の国産製品はとにかくカタログデータ一点張りで、人間の耳には聞こえない、測定器
しか判断出来ない数値を問題視しているのが滑稽にも思えたものだ。
 一方の外国製はデータ的には国産のようなデータは問題にしておらずデータのないものが
多くあった。現にマッキントッシュなんかはひずみ率において国産の何倍も悪かった。
 しかし音は逆で、おとなしい国産に対して、生き生きとした音を再現しているのだった。
  また外国製は価格別によって並べるラインアップ方式はとらなかった。従ってその製品
しかないのである。 とにかく他社に似た製品は作らないという姿勢が明確であった。
 
 ここで外国製品を見てみよう。次はアメリカのマランツ社とJBL社マッキントッシュ社の
 製品である。

 上はマランツ、下はJBL、 右はマッキントッシュ


 うーん どう見ても毎日顔を突き合わせるのならこちら外国製の方が良いなあ。
 品もあるし、造形美があるし機能的である。更に価格によるラインナップが
なくこの製品しか無いのだから他人よりも1ランク下だとか上だとかの精神的な
葛藤が無くて済む。値段は高くともこちらの方が欲しくなる。


 どうだろうか。このように製品群を見ていただくと、何故国産品に魅力が無くなったかが
分かるではありませんか。
 以上の例にあげた会社は全てアメリカである。アメリカは工業デザインに力を注ぐ国民
であるが、日本は性能や効率を目的とすると言われているがその違いが表れている良い
例である。やはりこれからはデザイン力が弱ければ国際社会では通用はしない。
 
 今後の強敵はイタリーである。イタリーの工業デザインは定評があるが、近年はオーディオ
の世界でも急成長をしている。木をふんだんに使った素晴らしいデザインの製品が輩出して
 いる。
 どうして木の国日本で木を主体にしたデザインが生まれなかったのだろうかと不思議に思
 っている。
  

 さて、以上はアンプの例であるが、実はスピーカー部門も同じである。正直いって日本製は
デザインの面で太刀打ち出来ない。また、再び人気が出てきたアナログプレーヤー(レコードプ
レーヤーのこと)面ではイギリスに完全に水をあけられている(なんとアナログプレーヤーの
価格は150万円位になっている高収益製品になっているが日本製品は参入出来ない状況で
ある)。次の写真はノッチンガム社製で220万円である。
 イギリスはオーディオの面で再び世界のトップクラスになっている事実は案外知られていないが
素晴らしい製品を多く出している。

 


 日本の弱点はデザイン力と企画力の面である。とにかく弱い。これまでの数さえ作ればという
考えは根本から改め、世界の人が買いたくなるような製品を作り出していかなければ日本の
明日は無いと思う。
 そしてもう一度自信を取り戻し、数少ないが素晴らしいデザインの製品を作り出していけば
必ず日はまた昇ることと信じている。
 若者に強く期待します。

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