例の切手になった氏の作品です。
どうです。これが紙で出来ているなどかんがえられますか。
ちょっとユーモラスなデザインです。次の写真を見てください。
特に後ろ姿がかわいいですね
山形市木の実町在住です。付近に飲食店が沢山あり、それらの店を一軒一軒きめ細かく訪問することも長寿の秘訣となっている環境に住んでいます。
山形市観光協会常任理事、山形物産輸出入協同組合専務理事
等を歴任しています。
山形市伝統的工芸産業展には連続20回出展している努力の人です。

山形の伝統工芸の振興に大変尽力しました。
特技には利き酒があり、10年ほど前まではよく利き酒大会で優勝し商品を持ち帰っていました(さすがに近年は優勝はなくなりましたが)。

山形張子は幕末安政の頃、京都生まれの仏師渋江長四郎(現在の渋江人形店の先代)が山形に落ち着き、京都嵯峨人形の手法を用いて張り子を作ったのが始まりといわれております。
この長四郎氏に久太郎氏の父・徳次郎氏が弟子入りし技法を伝授しました。
そして久太郎氏が父から受け継いだという流れになり、一つの技法が連綿と人から人へ伝わっていくのです。決して一朝一夕に出来上がるものではないのです。


数年前に弟子入りしたいと大学生や若者が何人もがきましたが、そのゆっくりした制作行程と技法に堪えられず誰も残らなかったとのことでした。
折角技法を伝えようとしたのにと残念がっていました。
結局この山形張子の技法は現在は久太郎氏のみが唯一の匠となっています。

さて、制作行程をみてみましょう。

まず木型に水で濡らした和紙を幾重にも張ります。作品にもよりますが10枚程度は張っていきます。
なぜ和紙を使うのかというと、洋紙は乾燥すると、しわが伸びてしまい微妙な顔の表情が表現出来ないためだそうです。

よく乾燥したら木型を抜きます。結局は何枚もの和紙が重なった乾燥した丈夫な素材が出来上がります。
今なら、プラスチック成型器で瞬間に出来上がるのでしょうが。
 この作品は前の切手になったイメージの元になった張子です。
高さは僅か11センチ。その制約されたサイズの中で和紙を使って表現するのですから大変な苦労と根気が要求されるのです。
 しかし何とも言えないほのぼのとした味わいが伝わってきます。
山形張子の傑作の一つでしょう。
だからこそ、全国版になったのでしょう。
 材料は、和紙、ふのり、胡粉(ごふん ハマグリの貝殻の粉)です。
 製作上大切な木型は先代から伝わったものや自分で工夫して作ったもの含めて約500種あるというから驚きです。

 
実はこの原画は岩城久太郎氏の作られた玉乗り兎を元にしています。
氏は山形張子人形を伝える山形市伝統的工芸産業技術功労者です
現在86歳で元気いっぱいの毎日です。
山形張子が最も売れたのは昭和20年代後半のころだったそうです。
戦後のおもちゃの無い時代には子供たちにとって数少ない貴重品だったのでしょう。

今では山形張子を伝える唯一の匠となってしまいました。
それでは氏の作品や制作行程などについて語っていきましょう。

この切手は平成11年用寄付金付きお年玉付き80円郵便切手および年賀80円切手として郵政省が発売したものでした。

皆さんは次の切手を覚えていますか。平成11年のお正月用に販売されました
ので記憶に新しいのではないでしょうか



では、そろそろ氏自身の紹介をしましょう。






























さて、問題は採算です。一つを作るのに、一週間はたっぷり必要としますが、
これで売値はせいぜい一個2000円前後です。
量産が効かないのですから、とても商売にはなりません。
これが日本から職人や匠が居なくなった理由です。
とにかく跡継ぎが生まれないのです。今時の若者は見向きもしません。

そのわりには、需要はものすごいのです。月山玉兎などは、まだ数年先までの
バックオーダーを抱えている状況です。
現代人は古い物に対する興味と関心は高い、しかし、作る人は居なくなっていくとい
うのが現状です。


さて、それでは氏の作品の一部を展示していきます。よろしくご鑑賞下さい。









次は定番のだるまさんです。ちょっとユーモラスな表情になっています。ホノボノとした気持ちになります。

さて、以上氏の作品から、ほんの一部を紹介しました。
とにかく一つ一つの作品の製作には時間がかかります。
今の時代には経費的には全然合わないのですが、氏は山形張り子最後の職人という
気構えと誇りで頑張っているようです。
どうかこの伝統が消えないように多くの人の応援をお願いして紹介を終わります。

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 [追記事]平成18年1月23日 
 平成17年の暮に発行された「gatta! 2006/01」という情報誌が才能の二世帯同居を
 特集にしました。
 その中で岩城さんのケースを写真入りで紹介しています。
 ここにその様子を紹介します。

 次が表紙です。

 孫二人が後継者なのですがもう一人が都合で取材当日不在となり写真には
 孫一人となってしまいました。



 代表作品が要領よく紹介されています。



 なんとかこれで後継者が頑張っていってもらうと山形張り子も続いていくことと思います。
 頑張れ山形張り子!!!

 

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