山形県を縦断する大規模林道はご承知のとおり、長井市葉山と小国町の北部、五味沢地区から南に山越えする地区との間で工事が中止されております。
私は平成12年5月にこの状況を確認に行ってきました。その時、土地の高齢者といろいろ会話をしている中で、大変興味ある話を聞きました。その辺をご紹介していきたいと思います。
ここが林道の開始点です。一応ゲートがあり入れません。この辺は快適な道路になっています。ちょっと心臓を強くして入っていきます。待っていると地元の人が来ます。その人に黙ってついていくのも一法です。
この道をどこまでも進むとつぎのようなトンネルが出現します。
トンネルの名前は小枕山トンネルです。
見て分かるとおり木々が覆い被さり、不気味な状況ですが、かまわず入っていきます。
ただし十分に気をつける必要があります。
道は完全舗装で比較的良好なのですが、両側の崖からの倒木や落石があり危険です。
さて、何とかこのような道を進みますと次のような平らな駐車エリアのある所に着きます。
この正面の山の手前の色が濃い山がブナ林帯なのです。ここが所謂「白い森」なのです。一番高い山は見て分かるとおり岩盤が露出した荒々しい山です。
私はこの駐車エリアの近くで、山菜採りの準備をしていた古老と会いました。
この方は、私と話をしているうちに、懐かしそうに正面の山々を見ながらポツポツと話をはじめました。
正面の山の岩壁の部分の下を新潟県村上港と長井を結んだ道があったとのこと。この道は江戸末期に整備され現在は廃道になっていること(私が後で調べてみたのではいわゆる「西山新道」であると思います)。そしてこの岸壁の下に宿屋があったのだと語り始めました。私は岩壁の山を見上げながら、驚愕するとともにこれこそ天上の宿だなと思いました。古老が若いころには、あの一帯から下の谷間までがぜんまい採りの領域であったのでこの山一帯で宿泊して(一ヶ月位泊まりっぱなしだったとのこと)ぜんまい採りをしたものだと語りました。「いい金になったなあ。ものすごく太い、最良のぜんまいだった。今何しているかなあ」などと懐かしそうに語ってくれました。
そしてその時に、この天上の宿屋の残骸に出あったのだそうです。「もう一度行きたいが無理だしな」と本当に懐かしそうに語ってくれたのです。
私はこの話に大変興味を持ち、調べてみようと思っていたら、読売新聞が平成12年8月17日に「史跡 西山新道」という連載ルポを始めたではありませんか。本当に偶然ではありますが私にとっては奇遇でありました。
この記事によるとこの道は次のような歴史を持つ史跡でありました。
この道は長井からは生糸を、村上港からは塩を運ぶ「絹の道」と「塩の道」だったのです。まだ、113号線や宇津峠などが切られていない昔の頃は、こんな山間の難所を通らざるを得なかったのです。改修されたのは慶応3年(1867年)でした。改修という名前から分かるとおり、実はそのずっと以前にこの道はあったのです。
慶長年間に、米沢城主の直江兼続が最上義光を攻撃するために、この道で越後から塩を運んだと言われています。この道が、江戸時代に改修の対象になったのだと思います。
しかもこの道は、長井の商人たちの負担で改修されたとのことで当時の長井の隆盛ぶりが偲ばれます。
さて、私にとってはこの大規模林道が開かれたおかげで、この「西山新道」の存在を知ったのです。このような雄大な眺めのもと、昔の先人たちのすさまじいバイタリティに感心し、改めて今の私たちの存在の小ささを自覚することは大いに有意義なことと思います。