廃校を訪ねる

  第一回 山形県西村山郡朝日町大字大谷 大谷小学校大暮山(おぐれやま)分校訪問

 誰でも自分の通った小学校というものには何ともいえない郷愁を感じるものです。
 ある意味からは心の原点といえるかもしれません。
 もしこの心の原点が無くなったなら人はどのような気持ちになるものでしょうか。
 残念ながら現在の日本では、至る所で小学校が廃校に追い込まれています。
 特に山間部の学校は悲惨な状況になっています。
 これから紹介する大暮山分校は山間部の学校とは思えない大きく立派な校舎の学校です。
 昔はこの学校に大勢の生徒が溢れていたのでした。おそらく休み時間にはキャッキャッという声が
 山あいにこだましていたことでしょう。

 私は何時も言っていますが、山間部は昔の方が豊かで活気があったということです。
 貧乏ではあったろうが自立精神と心意気という面では今よりもはるかに豊かだったといえます。
 私は何回かこの学校を訪れています。それは大変辺鄙な山間にスックと立っている学校の姿に
 何か感じるものがあったからです。
 今回平成17年5月1日に訪れましたがこのホームページ用に情景をまとめてみました。

1.道程
  山形市の西に朝日町があります。山形市、左沢と進み朝日町宮宿に入る手前で右折れして西に進みます。
  周辺は高い山は無いものの山また山の世界です。丁度岩手の遠野を小さくした感じです。
  まもなく大谷の部落に入りますが、まっすぐ進みます。段々と谷間に入り周囲は狭く、曲がりくねった道に
なり辺境という感じがしてきます。最も狭い谷間を越えるとすぐに右に入る道が出てきて、これを進めば
大暮山の部落に向かいます。左側は深い谷、ガードレールはありません。気をつけて。
 
 

 さて、いよいよ部落が見えてきました。


2.学校の姿

まもなく学校の門が見えてきます。おそらくこの門を子供たちは歓声をあげて登ったのでしょう。

この門をくぐり進みますと見えてきました、学校が。
坂を登ると突然目の前に現れるので結構迫力がある登場をしてくれます。
本当に小学校らしい学校だなという感じがします。このような姿で現存している学校は
少なくなってたいるので、映画のロケの撮影地として貴重になっていくかもしれません。
私はふと、あの「瀬戸内野球少年団」を思い出してしまいました。
何とかこの校舎を残して欲しいと思います。


もう少し後の時期に行けば、現在周囲に張り巡らされている雪囲いが取れてすっきりした姿を
見ることが出来ます。

この学校は結構歴史のある学校です。百周年の記念式典を経過しているのですから
大したもんです。こんな山間部に百周年を経た学校があるということは本当に昔の山間地区は
立派だった。
 この学校は平成11年3月22日をもって閉校したのです。
 関係者一同の無念の気持ちが痛いほど分かる気がします。
 
碑にちらりと明治16年という文字が見えますね。近年多い、市街化地区の急造学校とは
大違いだなあ。



 もう一度東側から見てみましょう。少し手をいれれば立派に復元なるのですがね。


  

 さて、この学校が近年話題になる時が出てきました。
 それは皆さんが昔、学校の窓から紙飛行機を飛ばして怒られたことを覚えていますか。
 私も飛ばしましたね。紙飛行機の飛ぶ軌跡をポカンとして追い続けていたことを思い出します。

 そうです。紙飛行機を校舎の窓から飛ばして昔の自分に戻ろうよという企画です。
 名称は 朝日町旧大暮山分校 白い紙ひこうき大会 となっています。
 よい企画ですね。
 呼びかけの詩がまたいいんですね。(原文のまま)

     山あいの丘の上 ひまわり せみの声 入道雲
     木陰 麦わら帽子 グラウンドの匂い
     かき氷 ラムネ 笑顔
     年老いた木造校舎
     白い紙ひこうきが 気持ちよさそうに
     フワリフワリ ゆらりゆらり

  
 
今の教育に無いものが全て表現されています。本当に昔は良かったよな。
  この紙ひこうき大会のサイトがあります。そちらを参照してみてください。
  http://my.lablog.net/ryuzi/
  また、問い合わせは 朝日町観光協会 0237-67-2113 まで
 
 この学校を巣立った人たちの幸せを強く念じて学校を後にしました。

  
    
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