廃鉱 大堀鉱山を訪ねる    平成16年11月14日

 山形県は実は至る所が鉱山だったのです。山形市の市内のすぐ東の山、盃山でさえ鉱山があったくらいです。
 これらの鉱山では多くの人が働いていました。雇用の確保の一役を担っていたのです。
 今はこれらの鉱山は全て廃鉱となり、草が生い茂り昔の痕跡を残していません。
 現代人は現在の地を見て判断しますから昔の方が山には人が多かったということは信じられないことと
なっています。
 私はそのような廃鉱となった鉱山を探してあるき、その痕跡を紹介して、鉱山の果たした功績を現代人に
再認識していただきたいと考えています。
 今回は山形県最上町大堀地区にあった大堀鉱山を探訪します。
 といっても実は温泉に入ることの方が主目的なのです。
 実はこの鉱山が操業開始された頃に、従業員の厚生施設として温泉の掘削が行われました。
 その時の温泉が現在も生きているのです。今回はまず温泉に入ってから鉱山の跡地を探そうという
魂胆でした。
 まず、大堀地区にある国民年金厚生施設”もがみ”を訪れます。
 新庄と古川を結ぶ国道47号を東進しますと、セミ温泉を過ぎた頃に、南の山の下部に丸屋根の
建物が見えてきます。
 遠くからもこの特徴のある姿は目撃できます。ここが鉱山跡地の一部です。

 次の写真はその”もがみ”です。資料から類推するとここは鉱山の職員住宅のあったあたりと
なります。

ここは高台になっており、下には野球場、テニスコート、サッカー場、温水プール等などが点在して
います。
立派な総合健康増進エリアとなっています。ちなみに”もがみ”の屋上には立派な天体観測所が
あります。希望者には観測をさせてくれるとのことでした。

下の写真の丘の上が”もがみ”てす。

さて、ここを基地にして鉱山探しにいきます。

 大堀鉱山の歴史を少し勉強してみます。
 鉱種は 金、銀、銅、鉛、亜鉛、硫化鉄鉱
 鉱業権者  東京都千代田区丸の内2−4−1 中外鉱業
 経緯   大正7年1日20トンの粗鉱を産出したのが始まり。
 昭和42年12月閉山となった。
 
 ”もがみ”を出て南の山裾に進みます。すると道路の右側が小高い土地になっています。
 この地に進みますと広場になっており目の前に鉱山の遺物が現れます。選鉱場の跡と
思われます。資料によると1日100トンの処理が出来たとあります。

この山一帯が鉱山だったわけで昔はここが最も賑やかな場所だったのでしょう。

 さて、この右手の山を登っていきます。私はがむしゃらに強行直登していったのですが、
途中できちんとしたコンクリートの丸太の埋まった道に出くわしびっくりしたのでした。
 おそらく役場がこの遺物を観光の一部にでもしようと整備した後だったのでしょう。
 ただ折角のその道も藪の下に埋もれていたのです。
 今回の訪問時期が10月半ばなので葉が落ちていたので見つかったのですが夏だったら絶対に
見つからなかったと思います。
 さてそのような道を登っていくと次々と遺物が現れます。
次の道をひたすら登ります。左右の草木は私の背よりも高いです。夏だったら絶対にきついでしょう。

 
 ついに最初の遺物があるゾーンに着きました。鉄条網も背か高く入れません。

 
 施設の点在状況が次の写真で良く分かります。
 
 この辺までくるとやはり熊が心配です。地元の人に聞くと猿とかもしかはいつもいるとのことです。
 一人で来るんではなかったなと後悔し始めた頃でした。


鉱口らしき所もありましたが、ガッチリとコンクリートで蓋されていました。

 さて、後ろを振り返ってみると温泉周辺の施設の点在されている様子がよく分かります。

 
 どうでしょう。鉱山は廃鉱になったけれども、当時に掘った温泉が立派に鉱山の名残を
とどめてくれているのです。
 温泉に来た何人かはこの遺物の所までやってきて昔の鉱山の面影を想像してくれるのでは
ないでしょうか。

 この鉱山は立派に再起した例として名をあげて良いのではないでしょうか。
 最後になりましたが施設”もがみ”の感想です。
 豊富な温泉、種類の多い地場産の料理の数々、地酒のサービス、更に静かな雰囲気、
朝の神室山系の眺め等何とも言えない雰囲気を持った所でファンになりました。
 
 
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