廃校訪問シリーズ
   山形県朝日町立送橋小学校を訪ねる

 令和4年11月10日は快晴となった。久しぶりに畑谷の大沼経由で峠を越えて
馬牽原高原に出てそこから広い畑地を西の方へ下ると接待という珍しい地名に
出るがここは文字通り上杉藩の役人たちを接待した所のこと。地区が果たした
役目上の出来事が地名に代わっていった一つの事例である。
この辺は以前は開拓者たちが結構入植していたのだが現在はほとんど人が
居ない状況だ。
さて、この道を更に北に進むと山辺から来る県道山辺ー朝日線にでる。
ここまではほとんど人のいない道を進んできたのでここまで来るとホッとする。
やがて右手手前の方に白い大きな建物が表れてくる。
そこが今回の目的地の朝日町立送橋小学校だ。
あまりに堂々とした建物なのでここが無人の廃校とはとても思えない。



 ここが玄関になる。今いる所の後ろが校庭でグラウンドとなってい。
 この玄関の部分から運動会の時などには子供たちが元気に走り回る
 姿が見れたのだろう。




 玄関のガラス戸に校名が書かれているのみでこれを除くとここが克て
 小学校だったのだと分かることは出来ない。




 学校のすぐ北側は幽玄な渓谷となっている。
 紅葉の時期には学校は極彩色の絵巻の中に存在していたのだろう。
 すべて夢の中である。



 日本中がここの情勢と同じ状態にある。かつて栄えた山間の地は今や人の
 姿はまばらとなりやがて土に還っていくことになるのだろう。
 この学校で育った子供たちは成人して村を出て都会へと出て日本を支えた
 のだ。立派に日本を支えたのだ。
 何とかこの立派な建物を活用して技術で生きる工場に生まれ変わらせる
 ことは出来ないのだろうか。飲料水や電気、道路等のインフラは万全で
 ある。現在のIT関係の企業が使えば環境は抜群の働く場所となるのだが
 このままではもったいないと思う。
 何とかもう一度生き返る機会が来て欲しい。


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