おしんの里を再訪しました 平成31年4月20日
 2019年(平成31)の4月から朝のある時間帯はテレビにかじりつきに
 なる状況になった。あの「おしん」の番組が朝ドラとして再放送される
 ことになったのだ。
 「おしん」がNHK BS3で午前7時15分から7時30分まで。
  7時30分から7時45分までは今日の朝ドラ「なつぞら」だ。
 しかもこの番組にはあの「おしん」役だった小林綾子が友人の子の
 母親役で出ているのだ。時の流れを感じさせられる。
 更に7時45分から8時までは火野正平の自転車番組「こころ旅」と
くる。結局この45分間は何も出来ない状態になる。
 おしんの朝ドラは昭和58年(1983)だったからまだ私の現役時代だ
ったため朝ドラを見ている余裕は全く無かった。
 でもいろいろの情報で撮影現場は本県の各地だということは知って
いた。
 番組終了後の1年後におしんの生家を撮影した場所を訪れたことが
あった。
 そこは岩谷という部落で山形市の西方の山地の中で大変交通が不便
で高校に通学する子供は下界の町に下宿するのが常だった。
 私が関係する職場にそこからの子供が居て周りの大人が大変な所
から来ているな、頑張れよと励ましているのを何回も聞いたものだった。
 最初の訪問は昭和59年の夏ごろだった。
 まだ撮影の賑わいの跡が残っていておしんの生家となった家も健在
だった。
 2回目に訪れた時は生家も大分あちこち損じてきたので生家のみを
庄内にある映画村に移築しようかという話が出ていたのを覚えている。
 結局平成25年に庄内の鶴岡市にある庄内映画村の一角に移築され
 たままになりここ岩谷には建造物は一切無くなってしまったのだ。

 私はその後も案内役を頼まれたりして行ったので3〜4回ほど訪れたと思う。
 さて、平成31年(2019)4月17日は晴れだった。「おしん」の再放送を見て
しばらくぶりにあの「おしん」の生家があった岩谷の部落はどうなっている
のかなと気になり車で出かけてみた。
 しばらく振りの再訪なのだが道路は立派に整備されており、へき地という
感覚は全然なくなっている。
 山地の下の山辺町からは車で20分も走れば現地に着ける。
 以前は谷間の車一台がやっとの狭い道を恐る恐る辿らねばならなかった
のだが今は違っている。というのは岩谷の周辺の地は山形県でも有数の
素晴らしいりんごの産地になったためだ。至る所に道が通じている。
 逆に現在のこの姿ならばロケ地には選ばれなかっただろう。
 
  現地の部落はここ岩谷十八夜観音に隣接した地になっている。
  ここの神社には「おなかま」という霊界との仲立ちをしてくれる人たちが居て
 信仰の中心地になっている。毎年例大祭を開いて全国から信者が集まる。
 岩谷という人間世界の集落は無くなってもこのような信仰の世界はいつま
でも残っていくのだろう。




 社殿を西に10メートルほど行くと左(南)側に行く道がある。
 なお、右に向かっても昔の道があり部落の中心地であるとの碑も現在ある。


 道を左に折れていく。
 用水路の跡があった。


 部落の中も杉の大木で埋まっていた。
 昔来た頃は結構あちこちに畑があったのだが。


 これは部落の北側の道である。
 うっそうと木々で覆われていた。


 


 


 墓だけがひっそりとこの土地を守ってくれていた。



 さて以上の写真が現在の岩谷部落の現状である。
 昔の面影は更々無い。
 岩谷の史跡の案内板があった。
 


 ここ岩谷十八夜観音は飛鳥時代に開基されたとある。
 その後に慈覚大師が山寺を開いた時に真西にあたるここ岩谷を
 大事な聖地として大切にしたとのことである。
 昭和38年頃より始まった過疎化の波で昭和55年に最後の家族が下山
 したとのことである。最盛期には岩谷33軒と称された。38戸257人が生活
 していたとのことである。
 分校もありしっかりした社会生活をしていたことが分かる。
 
 それにしてもここには昔「おしん」の生家がありロケの中心地であった名残りが
 見事に何も無い。
 看板一つ無く「おしん」がここで育った地であるとは誰も分からない。
 本当に当時の面影は何も無いのである。
 今回「おしん」の再放送により又ここに来たいという人は多いと思うがこれ
 では来てガッカリして帰るのではないだろうか。
 何かあっても良いのではないだろうか。
 行政関係者は何も感じないし、夢や関心のある役所人など今は存在しない
 のだろう。
 それにしても当時この地を「おしん」のロケ地に推薦してくれた人に失礼なの
 ではないかなと感じて現地を離れた。

  最後に岩谷の周辺の地図を掲載しておきます。明瞭でありませんが概略は
 分かると思います。


 
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