書名 「柔道修行七十年の回顧と絵画(1974年) 
著者   尾形 源治
出版社  郁文堂書店

 山形市民も知らない
 
山形市にある大偉人の歴史的遺産


 私は山形市宮町で育ちました。物心のついた小さい時から言い聞かせられていたことの
一つに尾形 源治名人についての話があります。 
 町内にその自宅があったため両所の宮という神社の周辺で遊ぶ時には
 この家の前はなんとなく姿勢を正して歩いたものでした。
 もっともそれも私の小学校前後の時代でしたからもう約60年ほど前の事ですが。
 その時に知っていたことは彼が柔道の大名人であり日本一の柔道の大家だという
ことでした。
 記憶の底には何度か合って話を聞いた覚えが残っています。
 中学生になった頃知ったことは彼が講道館柔道家であり、
元全日本柔道選手権保持者であるという大変な人間であるということでした。
 当時の彼について文献で語られていることに「圧倒的強さであった」という表現が
あります。 とにかく強かったらしい。
 でも当時は柔道で日本一になっても柔道では飯は食えず郷里に帰り余生をおくって
いたものと思われます。
 その間著書も出版しています。

  書名 「柔道修行七十年の回顧と絵画」
  著者  尾形 源治
  発行所 郁文堂書店


  となっております。
  このような全国的な偉人が郷里で作ったのが講道館柔道の山形版でした。
 名称を「櫻武会道場」と言いました。私も中学生の頃この道場に通ったことがあります。
 住所は山形市宮町であり北山形駅の正面道路を東に500メーターほど進んだ右手の
お寺の地続き地にあります。
 櫻武会の創設が明治43年、道場の建設が昭和11年でありました。
 爾来この道場で実に多くの人間が育っていったのです。大変由緒ある建物で
あります。
 しかしこの歴史的遺産に関して悲しむべきことが起こっているのです。
 それは撤去の話が持ち上がっているのです。
 現在は無人となり管理者も不在で、ガラスも破れ確かに不用心な状況であります。
 だからといって歴史的記録の実施、修復や移築を検討もしないまま撤去という結論で
よいのでしょうか。
 これまでも山形市は多くの歴史的遺産を廃棄してきました。また山形の基礎を作った
最上義光時代は戦乱の連続で結果として歴史的遺産はほとんどありません。
 せいぜい明治・大正以降の遺物だけでも大切にしなければならないのにそれも潰して
きました。これは山形人の気質なのでしょう。というのは庄内地区や置賜地区に行けば
多くの遺産が残されているのですからやはりこれは山形人の特質なのでしょう。
 そのような流れに今回もなり、この櫻武会道場も同じ運命を辿るのではないかと
危惧しています。
 もう私の年代でないと郷土の偉人尾形源治氏の名は知られていません。
 もし櫻武会道場が無くなれば完全にこの偉人の名は忘れられるでしょう。
 平成19年1月14日に私はこの道場を改めて訪れてみました。
 以後の写真が現在の道場の姿ですが建物はまだしっかりとしています。
 何とか移築や復旧が実現できないものかと心を痛めています。
では実際の建物を見てもらいましょう。

 上のようにしっかりした建物です。これは西面です。
 次は北西の面です。

 次は南西面からの写真です。


玄関の部分です。何故か看板だけが新しいのが印象的です。

窓はガラスがほとんど破損しています。これでは雨露がしのげません。

 

 最後にもう一度北面からの様子を見てください。

 ご覧のように建物の構造はしっかりしています。この建物の図面などは出来ているのでしょうか。
 必ずや後日になってから櫻武会道場とはいかなるものだったのかという声が出てきます。
 それへの対応の為にも今こそ全体資料を作っておくべき時期であると思います。
 大丈夫なのでしょうか。


春には櫻が咲いてとても風情のある眺めなのですが。
櫻の下で日本古来の武術を修練するのが尾形先生の願いだったのでしょう。
ぜひ、先生の柔道にかけた情熱をもう一度市民が知ることが出来る環境が
実現して欲しいと願っております。



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