竜沢部落を訪ねて   つづき

このルートで圧巻なのは菅部落に至る道です。
上山市山元の元屋敷部落の南裾から山道に入りますがこれが本当の
車一台の道です。何年間かに一度は転落車が出ているので要注意の道です。
どんどん進むと谷間の道となりいきなり急坂の急カーブとなります。
冬はどのようになっているのだろうかと考えざるを得なくなる道です。

このような環境にじっと住んでいる人を私は尊敬します。私の出来ないことを
しているのですから。


菅部落です。平地らしいところはここぐらいです。他は全て傾斜地です。

全てこのような傾斜地の中に家が点在しています。今立っている所も相当の
傾斜地の中にあります。標高も相当の高さでしょうね。



しばらく登っていくと又、山の中に入ります。道はどんどんと谷間に入り、
更に登るとようやく尾根道にでます。
 この尾根道から竜沢部落に至るのですが、ここが分かりにくいのです。
 分岐点が何カ所もあり、案内板は無い。とにかく進んで駄目なら戻るを
繰り返します。
 やがて道の側に可憐な花が出てきます。いよいよ人里だなという感じが
してきます。もうすぐです。


いよいよ竜沢の部落が見えてきました。部落の名前が出てきました。

次が部落の様子です。よくもまあ、山のてっぺんにこのような部落があるものだと
感嘆させられます。


周囲は緑のカーテンです。日陰に入るとさわやかでカラッとした気候の日でした。


道をそのまま進むと右手にいよいよ学校が現れてきました。
結構立派な構造です。
昔はここの階段を多くの子どもが元気に走って登っていったのでしょうね。

体育館です。

校舎の裏道です。この道を歩きましたが裏山にずうっと続いていました。

道標です。右吉野赤山へ、左当部落を経て高松へ

又、ブランコが出てきました。この光景が出てくると本当につらい気持ちに
させられます。ここで沢山の子ども達が遊んだ光景よ、いずこに! という
気持ちにおそわれます。

さて、時間も過ぎました。竜沢分校を後にします。
学校の前を過ぎ去り南に進みます。
部落は無くなりまた砂利道が続きます。
来た道を振り返って見た光景です。


やがて国道13号線が見えてきました。左側が山形市、前方の山は蔵王
連峰です。晴れていると熊野岳等が素晴らしい姿を展開してくれるのですが
今日は生憎雲がかかっていました。右側は米沢方面となります。


さて、この度訪れた竜沢部落は現在では住む人も減少し、本当に寂しくなって
しまっています。
部落への道は分かりにくく、整備されておらず、本当に僻地という感が強く感じます。
でもここは昭和40年代は大変活気がありました。林業や鉱山、農業と沢山の人が
働いていました。
 実は、私は昭和42年頃に、この竜沢の学校に定時制で学び、昼に働く生徒の募集に
来たことがあったのです。
 このことを後日山菜取りをしていて、竜沢の部落に迷い込み、偶然に学校の正面玄関を
見た瞬間思い出したのです。
 あっ!昔訪れたのはこの光景だと以前のシーンを思い出したのです。
 最初の訪問の時の当時は暑い日でした。玄関で訪問を告げると沢山の人なつっこい
子ども達が顔を覗かせました。
 その後ろから教頭先生が現れ、丁寧に私たちの応対をしてくれたのでした。
 その時の学校の賑やかさを今も思い出します。それと比べて今の現状は何なのだ。
 なぜ今の方が寂れているのだ。何故だ、何故だと叫びたくなります。
 日本は確実に衰退に向かっているのだなと心が寂しくなります。
 
 
皆さんもぜひ、一度訪れてみてください。そして日本の山里を元気にする方法を
考えて見てください。


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