竜沢部落の銘木一本桜を尋ねる   令和3年4月13日

 前回この竜沢を訪れてからしばらく時間が経ってしまった。
 2年ほど前にテレビで竜沢にある一本桜を守る地元民の活動の様子が紹介されていた。
 さっそく行こうとしたがコロナ騒動等もあり時期を逸してしまった。
 今年も桜の季節になったのに山形市は緊急事態宣言を出す状態になってしまった。
 でも今日を除くとまた訪れるタイミングを失ってしまうことになるため思い切って出かけた。
 ここ竜沢に繋がる道は大きく分けると三つある。一つは南陽市に近い方の隠れ石近くから
 登る道。次が上山の高松地区から登る道。もう一つが上山市山本から登る道である。
 今回は隠れ石から登り山元村に降りるコースをとった。
 以前何回か来ていた頃は結構人の流れがあったが今回は着くまでに一台の車にも
 会わなかった。

 ようやく部落に着いた。


 駐車場から目的の桜が遠望できた。
 桜満開は一週間後あたりとのことで今回は残念な面会となった。


 結構幹は太くたくましい。


 説明板があり詳細に説明がなされている。


 帰りにここに来る時は必ず寄ることにしている竜沢の学校を訪れた。
 以前私が来たときは沢山の子供たちがこの玄関で出迎えてくれたのだった。


 今は上山市の管理教育施設になっており学校としての機能は無い。
 この校舎から分かる通り当時はこの大変な山間の地に沢山の子供たちがいたんだよ。


 当時の子供たちはこの看板を見て元気に玄関から入ってきたのだろうなぁ。


 改めて部落の様子を見てみる。
 来るたびに人の気配が無くなっている。
 テレビの加藤茶君のコマーシャルでの「寂しく なるなぁ」の言葉が身に染みて感じられた。


 それにしても学校の校舎が大変な荒れようで本当にさみしくなった。
 ここを最初に訪れた昭和40年代はここで大勢の子供たちに出会った
 ことを懐かしく思い出した。
 今回も地元の方と話したが昔は養蚕、炭焼き、鉱山、林業と農業で結構
 豊かに生活していたとのことである。
 日本が高度成長時代になってからは山を降りる人が増えて今はご覧の
 とおりだとのことだった。
 私が最初に訪れたときはその一番良いころだったのだろうか。
 地域が隆盛になっているのを見ることは嬉しいが逆に寂れた様子を
 みることは自分の高齢化と重なり本当に寂しく感じられる。
 最後に地元の方から良いことを教えて戴いた。
 それは降りるときの道で、電話線の電柱沿いに下ると上山市高松へ、
 電力線の電柱沿いに下ると山元村に着くとのことであった。
 以前は来るたびに道に迷い右往左往したものだ。そのくらい道があちこちに
 ある。
 今回は電力線の電柱沿いに降りたら迷わずにきちんと降りることが出来た。
 地元の方に感謝 !

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