石橋を求めて

石橋のイメージ

私が石橋というものを意識したのは、高校1年の時ですから、今から43年ほど以前となります。同級生の一人が天童の荒谷から来ていたので、彼の家に自転車で遊びに行くのが常でした。
荒谷は山寺に近いため、休みの時には山寺の南東側に展開する奥山寺を歩き回るのが私たちの楽しみになっていました。
遊仙峡も何回も踏破し、次はどこにしようかとなったとき、彼が「では石橋峠に行こう」と言い出しました。
この時が「石橋」という言葉に遭遇した最初でした。
何だ?、石橋って?と聞く私たちに、彼の説明した石橋の表現が強いイメージとなり、その後も私には何となく神秘めいた響きとなって残っています。
彼の説明によると、奥山寺の更に奥に、人跡まれで昼なお暗い谷間がある。その谷間には下から見上げると高いところに石の橋が懸かっているのだ。そこは動物しか渡らない橋で、これを見た人はあまりいないらしい。どうだ!そこへ行こうという内容だったと覚えています。私たちの頭には、すぐに山川惣治が描く冒険小説の一場面が浮かび、仲間一同、よし、そこへいぐべ−となったのでした。
確か、小東峠を越えて、途中、大東岳に登ったりしながら、初夏の快晴の一日を楽しんだことを強く記憶しています。
しかし、あまりにも大東岳登山のすばらしさのみが印象にあり、暗い谷底をさまよった肝心の石橋についてはほとんど記憶に無いのです。
しかし、あれから40数年を経ても、ただこの「石橋」というイメージだけは私の頭脳からは消えないのです。

谷山石橋との出会い   

アメリカの国立公園には数百メートルもある巨大な石橋がありますが、日本には、地形上
あのような石橋は存在出来ません。その代わりに、暗い深山幽谷の中にひっそりと存在する神秘的な石橋という分類が日本にはふさわしいと考えられます。
しかし、これまでにそのような石橋を探していましたが、なかなか見つかりませんでした。
実際にその場へ行ってみても、橋とは言えない形態や、もう相当前に崩れてしまったものとかが多く、私のイメージに合致するものはなかなかありませんでした。
最近、機会があり、何回か宮城県の村田を訪れることになりました。
村田の地形的な特徴は、低い山が多いが、山と山の間の谷筋は深く、高山の谷間のように、結構深いのが特徴です。村田の西側に谷山温泉があり、この側を登っていくと村田ダムに至ります。ある時この辺の人が、この山の中に石橋があるという話をしているのを聞きました。私の脳裏にこの時の話が強く記憶されたのでした。
平成12年4月のある休みの日に、その石橋の真贋を確認したいと思い立ち、山形を出発しました。
以下の文はその探訪記です。


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