前日のような私の行動が危ないと思ったのか工場側で迎えに行くとの申し出があった。
有り難いことで27日朝に工場から迎えにきていただいた。
来てくれた方の顔を見ると何と私の教え子であった。
私にとって幸いにも彼は一週間の日程でこの工場へ出張で来たばかりという。
会社の代表から私が来ているぞ、迎えに行ってこいと言われたらしい。
私は彼を見てホッとした。
さて、いよいよ本論である。 工場までの道は上海市街をはずれた農村地帯にある。
その地帯は上海市内の近代的な様子とはまるっきり異なる純粋な田畑が拡がるエリアである。
その中に近代的な工場群が連なる。工場までの道の両側には、長屋のような小さな店が
ズラっと軒を並べ人で溢れている。ほとんどが修理屋さんである。自転車、発電機、パイプ、
自動車部品、エアコン修理、配管、廃品回収等のバラックのような店が並んでいる。
まるで日本の終戦後の姿である。私は、この光景が中国の底力の源だと思った。
このような職人の層があるからどのような事態にも対応出来るのである。
日本が失った大切なものを中国で発見した思いがする。
なお、この辺の様子は観光で来たら絶対に見れないし、また、見せないような工夫が
巧妙になされているのだそうで私は良いものを見れたと喜んでいる。
ただ写真は駄目であったので残念ながら紹介出来ない。
また訪問した企業の名前や、工場の中の詳細な様子も皆さんにお見せすることは出来ない。
しかし、最小限の範囲で現在の中国の人たちの働く姿を紹介していきたいと思う。
今回の中国企業訪問で感じたことを述べてみたい。
@ 製品部分の製造ではなく、部品の製造から、全体組み立て、検査、改良、世界への出荷までの
完全一貫製造であった。 これじゃかなわない。
A 製造組み立て業ばかりではなく、メッキや廃液処理までも含む処理産業も稼働していた。
しかも産業施設は現地で製造したものである。
B 若い女性が自分たちで図面を見て、機械の調整をし、男子工員に指示をし、生産品の測定を
行い、ラインや機械の修正指示まで行っている姿に仰天した。
日本の若い人たちには絶対に出来ないだろう(気持ちの面で)
C 工場内は清潔で、ゴミは完全分別回収をしていた。日本企業の方が汚い感じがする。
もっともここまでくるには相当の苦労があったとのことである。
D 一つの棟に1000名位の若い女子従業員がズラっと並び作業をしている。壮観である。
三交代制である。
日本では実現無理な光景であった。この面からも日本での生産は不可能と考える。
E 95%が若い女子の感じ。出勤はスクータである。
この上海の交通地獄をくぐり抜けてくるバイタリティはものすごい。
F 正門前には毎日、採用面接を受ける人が列をなしている。
これでは給料を上げる必要はないと感じた。
G 教えれば何でも吸収しすぐにマスターする。教える方が怖くなるとのこと。
H 工場内にはいたる所に作業内容についての説明がある。常に仕事の内容を明示し、
各自の責任と業務内容を理解させていくことが必要とのこと。
何も説明せず、ただこれをやりなさいという体制はやる気を起こさせないとのこと。
I 食事が大事。昼食や交代時の食事は会社持ち。
メニューも工夫し、日本から定期的に料理人を呼び、改善している。
中国人は食事を大切にする国民であり、手を抜くと必ずマイナスになるとのこと。
出勤はスクーターが圧倒的
工場は日本以上の規模
すべて女子が自主的に考えながら行動していた。女子の優秀さを痛感した。
結論 従来日本で行っていた量産体制の再現は日本では不可能である。
じっと耐えていれば、昔のライン生産が再開するというのは幻想である。
一日も早く今後の日本の進むべき道を見つけなければならない。
中国企業が今後、自主企画や自主設計を全面的に現地で行うことにはまだしばらく
(と言っても3〜4年)かかる。
この時期までに、日本は次のステップへの明確な方向を決定しておかなければ大変
なことになるはずだ。
もっとも、現在の「もの創り」を大切に考えない政府・国民の思考を変えなければ間に合わなくなるのだが。
私は、中国に行けば、日本の将来にプラスになるものが得られると思い、上海に行ったのだが、
逆に、世界の中で日本の置かれた厳しい現状のみが目の前に突きつけられ愕然としてしまった。
しかし、日本の将来に対しプラスになるものも多く感じ取ってきた。
このことをこれからの教育や企業活動に反映させていく形で支援をしていきたいと考えている。
それにしても、忙しい中、私のために5つの工場の見学を許可下さり、案内下さった関係者の皆様に厚く御礼を申し上げたいと思います。 上海で頑張っておられる皆様、健康に気をつけられご活躍下さい。
謝謝!
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