大沢駅の巨大スノーシェッド


 県内の大きな建物や施設建造物は他県と比べると少ない。
 しかしいくつかは例外的に大きなものが存在する。その一つがスノーシェッドで
ある。奥羽本線板谷峠付近のスノーシェッド群は不気味なくらい巨大である。
 米沢駅から見ていくと、大沢、峠、板谷の各駅にはスノーシェッドがある。
 その中でも大沢駅のものは最大である。
 これらのスノーシェッドは昔のスイッチバック時代の名残である。
 傾斜のきつい板谷峠の鉄道線で唯一水平になっている駅の停車場に汽車を誘導していく
大事な役目があった。豪雪地においてこの傾斜線から水平線に切り替わる所は切り替え
ポイントがあり線路が左右に移動する。ここに雪が挟まることになれば線路は移動出来ない。
 このようなことを防ぐ意味から、線路全体をカバーで覆ってしまったものである。
 とにかくスケールのでかい話と建造物である。しかし、これらのスノーシェッドも役目を終える
形となり峠駅のように撤去されつつある傾向になっている。
 早く記録に残しておかねばならないという気持ちになり、
平成14年12月6日再訪問したものです。

 まず奥羽本線関根駅前を南に通過し、水窪ダムとの分岐点を右に曲がり大沢駅方面を
目指します。まもなく次の踏切が出てきます。

 

 この道をまっすぐ進みます。すると次の分岐点になるので左の道を進みます。

まもなく部落に入り次の看板が出てきますので右折れして進みます。つい見落として
しまうので注意が必要です。とにかく大きな看板なんかはありません。

この道を右折れして登っていくと大沢駅の敷地に出ますが、しかし、ここに在る駅舎は本物で
はありません。

ここの部分は旧の駅舎域です。本当の駅は線路の右側に移り、歩いていき、正面の
大きな建物の中に入っていくとあるのです。

 さあここが巨大なスノーシェッドへの入り口です。誰も居ない静かな空間です。
 この道を前方に歩いていきます。原則としてこの線を列車は走りません。あくまで旧線です。
 後ろを振り向くと旧の駅舎が見えました。私は昭和38年頃にこの駅で下車し駅西にあった
スキー場に行き、ある大会に出たことがありました。あの頃は白布のスキー場よりも列車に
便利なここ大沢や五色温泉のスキー場が人気があったのです。ここで大勢の人が下車した
ことなど本当に夢のようです。
        

 次の駅名板が往時を物語っています。



この巨大な空間をしばらく歩いていくと次の新しい駅舎が表れます。本当におもちゃの国の
駅のようでした。

この空間の中は結構複雑になっています。これまで歩いてきた部分は、スイッチバックで
車両を水平の位置に誘導して停車させるスノーシュッドでした。今居る部分が在来線と新
幹線が通過する部分です。
 次の場面で旧線と新幹線との乗り入れ部分が分かります。左の暗い部分が今歩いてきた
エリアで昔の停車場線、右の明るい路線が新幹線の通過エリアです。
 どうですこの巨大なスノーシェッドは三部分が組み合わさっているのです。
        

線路も複雑に入り組んでいます。これらの複雑で精密な装置が全て遠隔装置で操作され
ているので無人で動いていますす。

駅のベンチも可愛いですよ。


 さて、スノーシェッドを抜け出てみて外部からこの施設を見てみましょう。
 次は南の福島県側へのシェッドの外観です。長大ですね。

次は米沢側です。この部分は新幹線のみが走ります。

          

 さあ、ここから大沢の部落を見てみます。懐かしい昔の光景が残っています。
 子供たちに「わら屋根」の家を見せるには良い機会ですよ。
  


 さて、以上大沢駅の巨大スノーシェッドを紹介しましたが問題はここからだと思います。
 他県では、このような旧線時代の遺物を大切にして、資料として保存しています。(碓井峠、
 会津線等)
 そしてこれを使い、町興しや村興しに活用しているのですが、東北の場合は次々と破壊され
ているのです。 先日も読者からのメールで、赤岩駅の旧線が撤去されていたとの報告をいた
だきました。(赤岩駅は福島県ですが)
 なぜ、先人の作った偉大な作品を壊すのでしょうか。芸術品や美術品としての金銭的価値が
ないものはゴミだと考える感覚が強く感じられます。私はこのような巨大建造物は人間の知恵と
努力の結晶であると考えており、人間の生きる力の偉大さを示していると思います。
 皆様にもぜひご訪問いただき、いずれ発生するであろう、これらの施設のあり方を考えていた
だき、スノーシェッドたちにこの冬も頑張れと声をかけていただければと思います。
 では、失礼します。

 トップページに戻る