白鷹町栃窪を訪ねる
山形県の南西部にある白鷹町の栃窪部落が集団移転で廃村となり、
村民が集団で山を下ったと聞いてから何年になるのかな。
当時この事実を新聞で知ったときは「ああ、また山が寂しくなるなあ」と思ったものであった。
平成16年11月5日秋晴れ、何となく栃窪のことが頭をよぎった。
丁度紅葉が盛りである。紅葉狩りを兼ねて部落を訪ねてみるかとなり、山形市を出発した。
以前に栃窪を訪ねようとしたことがあった。その時は雨の日となり、栃窪に行く道が探せなかった。
その次の時は道は分かったが時間が遅かった。従って今回は3度目の挑戦となる。
私は現地ではナビや地図は使わない。事前に地図を見て方向感覚を頭にたたき込み後は成り行き
まかせである。それに山の道なんかナビには表示してくれません。いつも真っ白状態ですもの。
あれこれ迷い、戻ったりしながら目的地を探すことがパズルを解くことに似て面白いのである。
さて地図を見ると地名のみがありルートは描かれていないか、又はルートのみ描かれていて
地名は空白となっているかである。廃村なのだから仕方ないのかとも感じる。
でも昔は大勢の人が生活していた土地が地図にも無いということは寂しいことである。
言えることは、今の日本の山村は崩壊しているということである。
まずは栃窪への道をたどろう。
最初は山形県西置賜郡白鷹町大字深山の部落の北の端の部分が栃窪までの道路の始点です。
この道を北に向かいひたすら登ります。道はつづら折りで進みます。
道は狭く、砂利道となっているので注意が必要です。
結構農作業用の軽トラが走っているので気を付けた方が良いです。
上にいくと片側は断崖になっているので落ちたら大変です。
登って気づいたのですがこの沿道は紅葉の名所でした。大変きれいな紅葉の群生で山が囲まれて
いました。
このような道を20分程登ると左側に石碑が並んでいるのが見えてきました。
そうです。ここが栃窪です。しかし何にもありません。物音もしない世界でした。
上の写真の右側に石碑が建っているのがわかると思います。そこは実は栃窪の分校の在った所
でした。その様子が下の写真です。
この地に子供たちの元気な声がこだましていたのかと考えると現状が残念で涙が出てきます。
この土地を苦労して開墾したことを記念する石碑が建っていました。
開墾の経過が詳細に刻み込まれています。このような記念碑はある意味で歴史の証人ですので
年が経るにつれて重要な資料となっていくでしょう。
さて部落の様子を見てみましょう。ほとんどが廃屋になっています。ここでの人々の生活がまるで忘れ
去られようとしている現実を見ると悲しくなります。
私はいつも主張していますが、山は昔の方が賑やかだったということです。
現在、町に熊が出ると騒いでいますが、これの原因をブナの実の不作のせいにしているのがほとんどですが
それは違います。山村が無くなったのが原因です。
昔は山村が熊や猿との最初の接点になってくれていたのです。熊たちはこの山中の山村のところで人と
接触し人間への警戒を経験し、それ以上には里に下らなかったのです。
その防波堤が無くなったのですから、動物たちは一気に町に出てしまうのです。
よく自然を愛すると称する人たちが「山に人が居なくなれば動物たちが山でゆっくりと生きられる」と言います
がそれは違います。動物たちは山中だけに留まってはいません。
動物たちは町に出てしまい、ついには又追われ殺されてしまうのです。
昔より今の方が残酷なのです。
さて廃屋の状況を確認してください。
ついでに田圃も見てみましょう。
何にも残っていません。また、原野に戻ってしまいました。ああ!無惨。
ここに黄金色の稲穂が波打っていたとは想像できますか。
なんともむなしくなります。
日本の将来を暗示していないと良いのですが。
最後に
廃村栃窪を探し訪ねてみて予想以上に村が「無」に戻っていることに愕然としました。
なぜ山村は昔の方が賑やかだったんだ。何故今の方が豊かでいられないんだと尋ねざるを
得ません。
ただ心が温かくなったこともありました。
それは東京からの方が別荘としてこの土地を選び建物を建てて住んでくれていたからです。
廃村の村の中の新しい家ににBMWがドンと駐車しているのをみると「頑張れよそ者」と声を
かけたくなります。
きっとこの土地も新しい展開に出会うのでないかと期待が生まれました。
栃窪の地が永遠ならんことを願い下山しました。
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