ベトナムの企業訪問記 平成23年2月10-16日
当ホームページの「技術と産業編」で平成14年の上海企業の訪問記を
掲載したがその後の企業訪問の記が中断した形になっていた。
実は上海の後にベトナムの企業訪問を考えていたのだが仲介役をしてく
れるはずの私の友人の家庭の事情で訪問が実現しないままに年月が過
ぎてきてしまっていた。
今年になってからそのような支障点もなくなり改めてベトナムの企業の現
実を学ぶための旅行をすることになった。
私の友人のH氏は1998年(平成10年)に大変な苦労をしてベトナムのホー
チミン市に工場を創設した。
創設が1998年であるから彼はその数年前からベトナムのホーチミンに
滞在して工場設立のために活動を始めた。
当時のホーチミンは市内の至る所にジャングルや湖沼が存在している
南国の香りが豊かな土地であったそうである。
そのような土地にしかも言葉も喋れず、誰も知っている人がいない土地
で工場設立の活動をやらねばならなかったことは大変な苦労であったこ
とは明白である。
私ならやれない。
さて、今回はH氏が昔お世話になった現地の方たちに御礼を述べながら発
展している現在の工場の現状を認識することが目的である。
残念ながら工場内は写真撮影が禁止のため働いている様子は紹介出来
ない。その代わりに工場内の案内を受ける時には懇切な説明をいただいた。
工場の内部の姿は簡単な紹介でお許しを願う。
次の写真は工場前に設置されている垂れ幕であるがどこの向上にもこの
ようなものが良く目に付いた。
何かと聞くとここにはボーナスが1ケ月分とかいろいろの勤務上の条件が
書いてあるとのことである。
当日も欠勤者対応の臨時採用者の募集のために応募者が工場前にたむろ
していた。毎日の人の出入りは活発である。
会社の幹部と記念写真となった。
幹部は現地の人も入っているがいずれも日本語が上手でびっくりした。
このような人をいかに獲得出来るかが海外での企業活動のカギなのであろう。
さて、セキュリティ上の約束により工場についての説明が出来ないのでこの企業が位
置する工業団地について若干の説明をする。
TTCというこの工業団地の管理をしている施設に行って団地全体の説明を受けた。
分かりやすい手法で模型が作られており丁寧に説明を受けた。
現在約165社が存立しており内日系企業が68社位あるとのこと。
次のジオラマにより工業団地がサイゴン川に沿っていることが分かる。
この工業団地はタントゥアン輸出加工区という。ベトナムで最も成功した加工区である
とのこと。
地理的にはサイゴン川に面しており約300ヘクタールの広大な面積を有している。
最大の利点はタンソニャツト空港から13キロしか離れていないために何時でも駆けつ
けられることである。
更にサイゴン川の水深が深いために大型の貨物船が横付け出来る立派な港湾施設
が工業団地に沿って存在し税関の建物もあるので荷役して入管業務、搬送、企業受け
入れまでの時間が日本よりはるかに短時間で済む。
何しろ荷役作業は一晩中行われている。無意味な規制が存在しないためである。
次は深夜ても行われている貨物船の荷役作業の光景である。これが日本なら作業
する人がいないとのこと。
税関処理を含めると日本とは数日の差が出てしまうとのこと。とにかく日本は遅いと
の言葉を何回も聞いた。
当地の日本人スタッフ達も改めて国外から日本をみるといかに無駄な規制が多いかが
分かったと言っている。
面白い光景を紹介する。川の片側で地味な荷役作業を行っている対岸ではこれから
夜の船上パーティを行うクルージングが行われる。
私たちもこの船で川をさかのぼり(川といっても海と同じなのだが)料理と生バンドの
演奏に酔いしれた。
実はこの船上クルージングパーティはH氏が工場設立のために山形県に呼んで
現地人を研修のために教育したメンバーたちが設定してくれたのである。
次の写真はそのメンバーの一部である。
もう10年も経過しているいることなのに既に退職して何年も経つのに昔世話にな
った上司(設立時の社長)のためにこのように全員集まってきてパーティをしてくれ
るなど今の日本では考えられないことである。
とにかく今回私が出会ったベトナム人は昔の日本人の良さを全て持っていること
に驚かされ感動させられた。
さてベトナムホーチミンの日常の様子を紹介しよう。
今は丁度乾季であるので連日30度以上の気温。大変乾燥しておりさっそく私は
喉を痛めた。一日に何回もウガイをする羽目になったが水道水でやれないので
その度にミネラルウォーターの世話になるので一日に何本もミネラルウォーターを
必要とした。
4月頃からは雨季に入るので2月が観光には良い季節なのだろう。
ベトナムタンソニャット空港に着いたのは現地時間で夜10時を超えていたのだが
空港ロビーを出たところ玄関周辺には大勢の人たちが集まっている。
大変なにぎわいである。このような賑わいは一晩続くという。
町の中はバイクの渦であった。
意外なことに蚊と蝿が一匹もいなかった。
その代わりそれに匹敵するくらいにバイクがいた。
車の中からの光景が次である。
とにかく車の前後左右にバイクがいる。それでいて車が右折れする時はスムーズに互いに
調整して走行する。
この点は上海と違っていた。
日本の感覚では絶対に運転出来ない。日本企業はどこも日本人の運転は禁止している。
しかし、今後ベトナム人の収入増が続けば確実に四輪車の購入は増えるだろう。
この時に果たして道路状況は万全かというと大きな危惧を感じる。
現にタイのバンコックなどはひどい渋滞に悩んでいる。
恐らく数年後にこの問題への解決は大きな課題となるはずだ。
ホーチミンからメコン川を150キロ程下ると南シナ海に出る。
その途中にミートイ(美しい市の意)がある。
このあたりまで来るとメコン川はまるで海である。
ここまでホーチミンから約70キロである。
昔は赤土のドロドロしたでこぼこ道を延々と車に揺られて来なければならなかったそうで
ある。
しかし、今は片側3車線の高速道路がミートイまで通じている。次の写真がその道路の入
り口部である。
この道路は4年間で開通させたそうである。
山形では考えられない。山形の高速道路の延伸距離はたった一車線ずつなのに2km/年
である。
70キロでは35年かかるなあと思ったりした。
これらの事業は多くが日本のODAにより行われている。
このように日本のODAは現地人が分かる形で使われているのでベトナム人の日本への
対応は大変良好で私も感謝の言葉を述べられた。
このへんはいくらODAで貢献しても知らんぷりの某国とは異なるようである。
ミートイではメコン川の中州にあるジャングルを探訪出来る。
このジャングルには細かくクリーク(小さな運河)が張りめぐっている。
そしてこのクリークを手こぎの船が観光客を載せて行き来している。
しかもこの船は女性が手こぎで運航している。
現地人女性たちのたくましさには唖然とする光景であった。
次の写真はそのクリークの一部の船泊まりの様子である。
私は一瞬映画「地獄の黙示録」の中の一場面に入ったのかなと錯覚をした。
このような観光収入も確実に増加しているそうである。
さいごに
今回の企業訪問で分かったことは日本の現状である。
日本は静かになった。
日本が失った物造りにかける熱情がそっくりベトナムに移ってしまったということを感じた。
町で会う若者たちの目の光が日本の現状と違う。若者たちの目が生き生きと輝いている。
丁度昭和40年代の日本である。
やはり単純な大量生産は日本では出来なくなった。とてもかなわない。
日本がやれることは少数生産でも食べていける付加価値の高い絶対壊れない製品の製
産である。
現に中国でもベトナムでも日本製品に対する壊れないということへの信頼度は相当に高い。
そのためには相当に高度な技術レベルが必要なのだが年々下がる理科系の実力低下と
就職出来ないために製造業への志望低下の現象が増加していることが心配である。
もう一度日本人には物造りが大切で必要なのだと再認識をしなければベトナムにも勝てな
くなるであろう。
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