少しアップにしてみると朝日岳との光景がベストマッチである。
この学校を象徴するがごときの時計台がキリッと姿勢正しく立っている。
時計塔の中には鐘が釣り下がっているのが分かる。
きっと行事があるたびにこの鐘が鳴らされ周囲の山々、谷間にこだましたのだろう。
玄関には学校名が書かれたパネルは掲げられていた。
私は最初にこの校名は上杉鷹山にちなんだ名前でようざん小学校と
いう名称かなと思っていたがそうではなくたかやま小学校ということを
後で知った。おそらく近くに聳える白鷹山(しらたかやま)からとったの
だと思う。ただ白鷹出身の関取の名は白鷹山だが「はくようざん」と呼ぶので
ややこしくなる。
立派な体育館もそのまま残っている。本当に今そこで子供たちが動き回っている
ような雰囲気である。
校庭も本当に良い状態で保存されている。土質もしっかりとしておりき
ちんと整備されているのが分かる。これももったいないなぁと思ってしまう。
この坂道を登って行けば山の向こう側が山形市である。
山形市民が東京をあこがれたようにここの生徒たちも教室の窓から
この光景を見ながら山形市に行ってみたいと思ったりしていたんだ
ろうなぁと考え込んでしまった。
さて本題はここからです。この立派な夢溢れる学校は平成27年(2015年)に
ここから下がった所の町の中心にある荒砥小学校に統合合併となり閉校と
なっていました。
平成24年(2015年)の時点で生徒数45人、職員数12人でした。
ここ瀧野地区は往時は林業、養蚕、酪農で栄えた比較的人口も多い地区でした。
これだけ立派な学校を必要としたのだから相当の人口があったのだろう。
それが近年は急速に人口減となり村を支えることで精いっぱいとなっている。
このような地が日本各地に目立つようになっているのが現状です。
都会と地方の格差が昔よりもはるかに大きくなっているのが現状です。
でもこのことは都会に居ては感じとれません。
このまま進めば日本の食料を作り出す人間の数は激減していきます。
自前で食料を調達できないことが分かった時は時既に遅しとなるのでは
ないでしょうか。
私は今回この鷹山小学校を訪れてこのことを強く思いました。
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