田代峠とUFO 思いがけない出会い その2

  さて、話はいよいよ佳境に入ります。
  私は高校時代からサッカーを続けていて現在モセスツバイトという60歳台のチームに所属しています。
  このチームメートに鈴木さんというまだ60前の方がおります。
  この方と語り合っているうちに彼が最上町在住で田代峠の墜落飛行機と大きな繋がりが
あることが分かったのです。
  何とその方は、墜落した自衛隊のジェット機の捜索担当者だったのです。
  私がたまたま田代峠とUFOの話を持ち出したところ、氏よりもこの墜落事故とUFOについての
話が飛び出して互いに共通話題に盛り上がったのでした。
  以下、その時得た話を続けていきます。

 ここに一巻のビディオテープがあります。 放映されたのは昭和60年頃のものです。


タイトルは  ”UFO特集 第6弾!” 11PM 8/5 #960 となっています。
 そうですこの中で鈴木さんが遭難の状況と捜索の様子を語っているのです。




 さて、私からこのジェット機墜落とUFOの関係について鈴木さんから取材したことを紹介してみます。
 
取材日 平成15年9月5日
 
 時は昭和43年 1月17日の厳寒の候でした。宮城県松島基地から飛び立った2機のF86Fセーバージェット機のうち1機が到着時間になっても基地に戻らなかったのです。
 当時は猛吹雪で結局はレンジャー部隊や米軍も加わり捜索したのですが見つからないままとなりました。
 一ヶ月が過ぎた頃に鈴木氏は鳴子で雪中訓練をしていましたが、地元の猟師が山中から飛行機の部品を拾ってきた話を聞きつけました。
関係者が集まり調べてみると間違いなくF86Fのものであると判明しました。

  さっそく捜索隊が組まれ、当時ジェット機の整備部隊所属の鈴木氏は捜索担当者にえらばれたのでした。
 5名の捜索隊は山形県最上町赤倉温泉から元田代高原に通ずる田代峠を目指しました。
 途中から警察官、医師、案内人等が加わり総勢15名だったそうです。 
しかし、何しろ豪雪地帯の赤倉近辺です。大変な困難だったそうです。
 雪上車など入れない未開の地です。
 約4メートルの雪を足で掻き分けて進むのですから大変なことだったと思います。
 8時間歩き続けて午後4時頃に現場に到着しました。
 飛行機は谷間にスッポリと原型をとどめたまま(ただ左の翼だけがはずれて離れた
ところに原型のままあった)ストンと着座したかのように火災も起こさずに存在していたそうです。
 そして不思議なことに周囲の木々はなぎ倒されているものは少なく、あたかもすり鉢の底に
安座しているかのようであったとのことです。
 一般にジェット機の墜落となるとほとんどのケースでは周囲の木々はなぎ倒され、炎上し機体はバラバラになっているのが一般的なのにこの墜落状況は異常だなと感じたそうです。
 
 次の日の大捜索の結果、エンジンと乗員が前方から見つかりました。しかし、夕暮れとなったために大急ぎで撤収作業に入り、再び大雪との戦いが始まり、無事その日のうちに全作業が完了できたとのことでした。
 後日に事故調査が行われたのでしたが、結局何故あのような状況で墜落したのかは不明
だったそうです。
 状況はあたかも高速で飛んでいた物体に急に大きな停止の力が働き、機はそのまま下に
水平の姿勢のまま降下したように見えたそうです。
 この辺が後に、UFOとの遭遇により急停止させられたのではないかという説の根拠となりました。
 昭和60年代にに入ると、このことや地元の方のUFOを見たとの報告等により日本テレビが大々的に田代峠に撮影隊を派遣してきました。当時のことを覚えている方は多いのでは
ないでしょうか。
 そのときのビデオが先に示したものです。
 しかし、人間のつき合いも不思議は多く、私もチームメートの最上町の鈴木氏がまさか私が
取材して歩いた関係者の一人とは思いもかけないことでした。
 人間というものは不思議なものですね。


  
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