自然保護の大切さと地道な活動
山形県はほとんどが山林で囲まれています。飛行機から下を見ると山また山の間に
人間の住んでいる空間がかすかな平地となって眺められます。
この光景を見れば人間は自然と一体となっているのが良く分かります。
特に水がこの山々からもたらされているということを強く感じるのです。
しかし、近年、この水の問題が大きく取り上げられることが多くなっていますが、
そのことはそれだけ水の問題が深刻になっていることを示していると思います。
今回は私たちの身近な山の中でどのように山と水とが護られているかをレポート
していきます。
南陽市小滝水無沢に治山治水を見る
山形市から白鷹町荒砥へ向かう348号線を西進し小滝トンネルを抜け5分ほど進むと
右側に崖の下を這う道が見えますがこの林道の右側の沢が南陽市小滝水無沢です。
林道の入り口は見えにくくほとんどの人は通り過ぎるだけの目立たない場所ですが、
現在ここでモデル的な治山治水の工事が行われています。
この沢は白鷹山の南腹の位置しており、沢が狭いのに雨期には大量の水が集中し下流の
方では崖がえぐられる等の被害が出ていました。
そのために沢の両側を広げ遊水域が出るように地道な工事が続いています。
さて、林道の入り口は狭く険しい道ですがしばらく行くと次のような安定した道と森が現れてきます。
この道の下にはきれい清流が流れています。小さな滝もあり決して水無しではありません。
更にここを登っていきますと工事の様子が見えてきます。
周囲には雪による自然倒木がたくさんありますがこれは次のようにきちんと積み重ね整理されています。
道の山際は次の写真のように施行され雨水で崖の土が流されない処置がされています。
これらの処置工事は安い経費になるように工夫されているのが良くわかります。
とてもこのような治山治水の林道工事費ではコンクリートの側溝を埋めるなどは不可能です。
最終点には次のような指定標がありました。
さて、ここからが本論です。
現在、「山はほっておけ。自然のままにしておけばよいのだ」と主張される方たちが
多くいます。
しかしこれらのことは間違っているのです。山は放っていたら必ず崩れるのです。
私の中学生時代は山でも遊びました。山形市の東山麓や奥山寺が主でしたが、
そこには林業で働いている人たちが多くいて、少しも寂しいという感じがしませんでした。
炭焼き、枝打ち、伐採(場所によっては亜炭や鉱石の採掘)等で多くの人が働いており
山は一大産業地帯であったのです。
これらの人たちが山の管理を自然にやる形になっており昔の山は子供が入っても遊べる
ほどに下刈りがなされ木々の下の牧草地の感さえあったのです。
しかし、今はどうでしょうか。山に行っても働いている人の姿はありません。
当然に下刈りなどされていません。落ち葉が水を吸いブカブカの状態です。
よく言われるブナ林は水源だということは事実ですが反面、崖の地帯のそのような水を
含んだ地帯は地滑りや崩落の大きな原因になっているのです。昔はそのような地帯からは
落ち葉を取り除き出来るだけ日光に当て乾燥させたものでした。
しかし、現在はそのようなことはいっさい為されていません。更に山を整備する対策は
何もしないのに「ただ放っておけ」という論が集団を組んで声高に主張されています。
かわいそうなのは山です。私は山に数多くの機会で入りますが確実に荒れています。
雑草が生い茂り木々の根元には日光が射さず樹も弱っています。
そして廃村が確実に進んでいます。小滝地区の東の筋部落も消滅寸前です。
山は確実に荒れています。
このままで良いのですか。
現在は山を鑑賞するだけの立場の人の意見が強くなっています。山に手を加えることは
罪悪と言われかねない状況です。これで良いのでしょうか。
やはり山には手を加えてやり山の体力を強めることが必要なのです。これへの対策が
今回紹介した治山治水なのです。
本当に地味な仕事です。しかし、この地味な仕事が山を栄えさせるのです。
皆さんも時には山に入りこれら地味な仕事の応援団になっていただきたいと思います。
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