忘れてはならないこと

人間は忘れる動物であります。この忘れるということがつらいことを忘れさせ、
ストレスから人間を解放してくれる大事な生理的機能でもあります。
しかし忘れてはならないことがあります。それは人間が果たした努力の成果で
 あります。決して忘れてはいけません。
 皆さんは庄内地方に行くときは、月山道か新庄47号線経由かのどちらかを
通ると思います。

これからの話は新庄47号線経由の時の話です。
お客でにぎわっている白糸の滝ドライブインを過ぎて清川の大橋に近づく
2キロ程手前の道路左側にちょっとした広場があります。そこには立派な
碑といろいろの説明板があります。


この碑は殉難の碑と呼ばれていますがその碑の意味が理解できない人が
多くなっています。
ここらでもう一度この碑の存在の背景を
思い起こしてみましょう。
 
時は昭和45年四月二十四日でした。春の増水で最上川は水で増水して
いました。
当時はこの近辺に橋は無く川向こうとこちら側は渡し船でわたるのが常
でした。
そしてその船もワイヤーを両岸にわたし、そのワイヤーを手で手繰りながら
船を進める方式でした。
この日は戸沢村立古口小学校柏沢分校の生徒が白糸分校を訪れたので
した。
そして事故はこの帰りの渡船の時に起こりました。
生徒8名、教員2名の乗った渡し船が転覆したのです。
大変な状況の中、教員の両名は児童たちに声をかけ、8名が互いに手を
つなぐようにさせ丸い輪をつくらせました。
このお陰で児童たちはだれも急流に流されることなくなんとか救助をされま
した。
しかし、教員の両君は力つき急流に飲み込まれてしまいました。
両君のお名前はどうか是非この碑を参拝されご確認いただければと思います。
この碑はこの事故を風化させないために、そして殉職された両君への感謝の
意をこめて昭和46年4月28日に建立されたものであります。
当時教員であった私には強烈な印象として残りました。
その思いが今回の掲載となったものであります。


 また、次のような銘文があります。

  
おのが身はかへりみずして

   教え子の生命護りし ひとぞ尊き 

 
         
文部大臣 坂田 道太

 この文部大臣は本当に人間性豊かな味のある人物でしたね。
 どうか一時でもよいですから車を停めて是非訪れてこの事実をかみしめていただき
 たいと思いますし、このような事実を私たちはいつまでも忘れないようにしていかな
 ければならないと思います。

 
 この碑を参拝しているすぐ側を車が次々とものすごいスピードで通りすぎていきます。
 この碑のために止まる車はありません。しかし、いつ行っても花が絶えていない事実
 はこの碑の存在の大きさとそれを支えている人たちの大きな存在を感じ人間として心
 が熱くなります。



  対岸を望む。このような穏やかな姿が常ではない。
   

  下流には新しく橋が架けられた。

 

  すぐ側を車が通りすぎていく。




  殉難の碑の銘文



  文部大臣の歌が刻まれた銘板


  戻る