<花アルバム>  <最上川の詩>

芭蕉乗船の地


松尾芭蕉の書いた紀行文「おくの細道」には、新庄のことが出ておらず、大石田から舟に乗って真っ直ぐ最上川を下ったように書いてありますが、実際は、大石田から猿羽根峠を越えて新庄に入り、新庄に2泊して、3日目に本合海から舟に乗ったことが芭蕉に同行していた弟子の曾良(そら)の「随行日記」からわかっています。
芭蕉と曾良が新庄に来たのは元禄2年(1689)の旧暦6月1日(陽暦7月17日)です。
当時、本合海は内陸側と庄内側、ひいては当時の経済の本拠地であった大阪を結ぶ交通の要衝で、たくさんの荷物がここで舟に積まれたり降ろされたり、また旅人もここから一気に最上川を下ったり、あるいは徒歩の人は、本合海と向こう岸を渡し舟で行き来したりと、人や荷物で賑わう河岸(かし)集落でした。
ここ、旧国道46号〜本合海橋橋畔に、江戸時代から伝わる新庄の窯元・弥瓶窯で焼いた東山焼の芭蕉と曾良の陶像が建っています。これは、地元本合海の団体「本合海エコロジー」が建立したものです。
芭蕉はここから舟に乗り、「五月雨を集めて涼し最上川」をその実感から「五月雨を集めて早し最上川」に改めておくの細道に載せています。
春の桜の季節、芭蕉と曾良の陶像の上には、桜の笠が開きます。

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