<最上川の詩>

母なる川 最上川


広き野をながれゆけども最上川
最上川
うみに入るまでにごらざりけり
にごらざりけり

昭和天皇 御製
島崎赤太郎 作曲

山形県の母なる川「最上川」
上の詩は、昭和天皇が東宮時代の1925年(大正14年)に山形県に行啓され、その翌年の歌会始の時に詠まれたもので、山形県民の歌になっています。
最上川は長さ229km(全国7位)、水源は西吾妻山の標高2035m地点、、水源地から河口まで約3〜5日かけて流れています。
流域面積7040平方メートルで山形県全体の76%の土地を潤しています。
富士川(山梨、静岡県)、球摩川(熊本県)とともに日本三大急流の一つです。

最上川は、古くから交通運輸に利用された川で、特に近世では山形県では交通の動脈として重要な河川でした。
近世になり藩政が整ってくると、物資の交易が盛んになり、行き来する船も大型になり、藩の城米を始め、紅花のような特産品や各種物資が酒田湊へ下り、内陸に必要な海産物や京大阪からの物資が最上川を利用して運び込まれました。

このような重要な河川も、明治の世になると鉄道の時代とともに様相を変えていきます。
明治36年に奥羽本線が新庄に伸び、大正3年に陸羽西線が新庄から酒田まで開通します。
それでも、昭和の初期までは、たくさんの帆掛け船が見られたということです。

やがて車時代がやってくると、道路が重視されるようになりました。
昭和9年、最上川に鉄橋が架けられました。
その後老朽化した橋は、現在の昭和46年に架け替えられました。
ここ本合海地区は国道47号からの眺めの非常に良いところです。
地元の本合海エコロジーというグループが、ここ最上川周辺の整備を図り、芭蕉乗船の地への陶像を設置したり、最上川ゆかりの句碑を設置したりして、その活動が「最上川歴史と詩のみち」として注目を集めています。
その「最上川歴史と詩のみち」を中心に、最上川周辺の魅力をご紹介します。

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