<最上川の詩>

最上川鎮魂歌(レクイエム)


ここでは、観光とは異なる、最上川についての少し胸の痛むお話をします。

かつて、新庄市では、「最上環境芸術芸術祭・ランドスケープアート展」というイベントが開催されていました。
そのうち、何年かは最上川を舞台に繰り広げられましたが、2002年のランドスケープアートには、初めて小学校の生徒の作品も出展されました。
参加したのは、お隣戸沢村の古口小学校の児童のみなさんでした。
当時の加藤校長先生が、「最上川に一番近い学校で、身近な川が会場なので子供達の作品を展示させて欲しい」という思いと、
加藤校長先生にはもう一つ、児童の作品を参加させたいと願った訳がありました。


それは、かつて渡し船事故で児童を救った後に殉職した同校の二人の先生への追悼の意味も込められていたのです。


1970年(昭和45年)4月24日の午後3時過ぎ戸沢村古口地内の最上川で、渡し舟が転覆しました。
乗っていたのは古口小学校柏沢分校の児童8人と、引率の先生2名、船頭さん、合わせて11名でした。
本校で行われた運動会の練習に参加しての帰り、渡船中の舟のエンジンが突然火を噴いて止まったため、いかりをおろしたところ、舟首から浸水し、先生たちは、「みんな上級生につかまれ」と指示を出しました。
対岸にいる人が気づいて、すぐに舟を出して救助にあたりましたが、「子どもたちを頼む」と必死に叫びながら先生たちの姿は消えていったそうです。
共に25歳という若くて尊い命を飲み込んだ川は、その時雪解け水で増水し、最も危険だったそうです。
事故現場の近くには、その死を悼んで最上川殉難碑と「おのが身をかえりみずして教え子の 生命護りしひとの尊き」という歌碑が立っています。


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