<史跡めぐり>

桂嶽寺・戸澤家墓所


戸沢家は、応永31年(1424)13代家盛の代に秋田県角館城に居を構え、戦国大名としての地位を築きました。
その8代後、新庄の藩祖となった政盛の代に常州(現茨城県)松岡4万石に国替えとなり、慶長7年(1602)から元和8年(1622)までの20年間を茨城県の小川町と高萩市で過ごしました。
元和8年(1622)、またの国替えで、羽州最上郡と村山郡の一部6万石を賜り、新庄に入部してから廃藩置県まで、11代の藩主がここに支配しました。
墓所は新庄市瑞雲院と、ここ桂嶽寺の2ヵ所にあります。
ここ桂嶽寺には、一棟が建立されています。
ここの一棟は、二代藩主正誠(まさのぶ)公の御廟所です。
歴代の藩主の中で、正誠公の治世年数は60余年と最も長く、その間、鳥越八幡神社の拝殿や城内の天満神社などを造営するなど、社寺の再建建築事業や新庄城の修復など数多くの事業を行いました。
菩提寺であるこの桂嶽寺は、寛永2年(1625)初代藩主政盛公が、大田村に長松山万年寺を建立したのが前身で、貞享2年(1685)、二代藩主正誠公の愛児政武が9歳で亡くなったので、翌年万年寺を西山に移し、政武の法名桂嶽寺殿にちなみ、香雲山桂嶽寺と改めました。

それでは、奥の方にあるこの戸沢家墓所まで、一緒に歩いていきましょう。
まず、この標柱と案内看板をご覧下さい。
その後ろ側に通路があります。


ここから、林の中に入っていきます。


ちょっと看板が倒れていましたが、右に二代藩主正誠公の愛児政武の墓があります。


今度は、左の方の行って、戸澤家墓所に行ってみましょう。



落ち着いた雰囲気の中、歴史を感じさせてくれます。
近くの西山の丘には、郷土の偉人達を忍ばせる記念碑も多いので、こちらと併せて、是非一度は訪れて欲しいですね。

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