<巨木王国>

傾城壇の杉


二枚橋地区の東の方に、傾城壇と呼ぶ土壇があります。
江戸時代の初め頃までの羽州街道は、新庄盆地の東の山裾を縫い、萩野・仁田山・二枚橋を通って金山町有屋峠にかかり、秋田に通じたということです。
傾城壇は、その道端に当たります。

さて、この傾城壇の杉については、次のような伝説があるのをご存じでしょうか。


昔、秋田地方のある若者が、京都に登って遊学しているうちに、土地の遊女と馴染みになったそうです。
二人は、二度三度と逢瀬を重ねているうちに、離れられない仲になりました。
しかし、やがて遊学の期間は終わって、若者は故郷に帰らなければならなくなりました。
若者は心ならずも遊女をあざむき、後ろ髪を曳かれる思いで帰路を急ぎました。
後になって、遊女は若者の去ったことを知り、その後を追いました。
慣れない東路とあって、行路は困難を極め、新庄付近まで進んだ時には、もう一歩も歩けない程に疲れていました。
遊女はなおも北に進んで、二枚橋近くまで歩を運びましたが、とうとう力尽きて倒れてしまいました。

村人は、遊女の心根をあわれみ、壇を築いてこれを葬り、熱く菩提を弔ったということです。
このとき、壇の傍らに植えたという杉が大木となって今に残っている、ということです。


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