<史跡めぐり>

角沢街道の丸仏


最上地方は冷害を受けやすく、江戸時代、特に宝暦5年、天明3年、天保4年の大凶作には決定的な打撃を受けました。
多数の乞食が新庄城下に集まり救いを求めましたが、次第に餓死する者が続出しました。
宝暦飢饉について書かれた「末世之立鏡」には次のように記されています。

「だんだん死人が多くなり、その捨て場がなく、松本村の東、角沢街道に、深さ1丈5尺、巾9尺の穴を掘り、毎日ここに死体を捨てたが、その有様は目をそむけるばかりの悲惨さであった」

この碑は、宝暦・天明両飢饉のそれぞれ61回・33回忌に当たる文化13年に建てられた供養塔です。
正面に梵字で「光明真言」、裏面中央に「南無遍照混合」とあり、左右に建立の趣旨が刻まれています。
台座に「施主光明道宥恭、施主同寺講中」とあります。
そばに、明和7年7月、松本村(旧)が建てた、「餓死聖霊位」と書いた供養碑もあります。
市の指定史跡となっています。
新庄まつりの起源にもゆかりがあると言えます。

角沢街道ということで、角沢にあるのかな、と思う人も多いと思われますが、実は松本にあります。
場所は、今では新しく東高に行く道、高速に上る道ができましたが、一本お隣の旧道、田中鮮魚店さんの近くです。


羽州街道松並木へ