<史跡めぐり>

助雲山 接引寺(しょういんじ)


新庄地廻り三十三観音でご紹介している接引寺をおたずねしたところ、
ご住職様より中をご案内していただきました。
今から380年ほど前の寛永2年(1625)、良本上人が開山された接引寺は
新庄地廻り三十三観音の八番目
「もろびとを みちびくてらの にわのつゆ きえてののちも たのもしきかな」
「接引」という仏教での意味は「どんな人をも最期は極楽浄土にお連れする」
つまり「もろびとをみちびく」ということです。


御本尊 木造 阿弥陀如来座像は県の指定文化財で、13世紀前半の鎌倉時代の作と見られ、像高137cmと同時代の仏像としては県内最大、全体としてたくましく、力強さが感じられます。両目の見開きが大きいのが特徴的です。勢至菩薩には元禄八年(1695)渋谷甚兵衛奉納と刻まれています。



本堂 内陣の欄間彫刻は初代能面氏「野川陽山」作。先代ご住職がとても親交が深かったということです。これは地蔵菩薩像で、人々を正しい世界に導き、子供をやさしく見守る地蔵様のお姿が刻まれています。もう一つ二祖対面図もあるそうです。



初代能面氏「野川陽山」が面容を刻んだ火鉢。全部で12面ほどあるようです。実にすばらしい火鉢です。

接引寺には、この他、「まかどの地蔵」や、
松尾芭蕉が新庄を訪れた際に渋谷甚兵衛宅「風流亭」に二泊していますが、その渋谷家墓所などもあります。
後日改めて写真を追加致します。
接引寺ご住職様、ありがとうございました。

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