<史跡めぐり>  

<惜別の時>

羽州街道街松並木


藩政時代の国道であった江戸から仙台方面への奥州街道から、福島県桑折で分かれ、七ヶ宿を通り、今の宮城県と山形県の境金山峠を越えて、上の山、山形、新庄へと北へ進み、秋田を経て青森に至る脇街道を羽州街道と呼んでいました。
この街道も参勤交代の大名が往来した重要な道路でありました。
それで、東海道五十三次と同じように、宿駅が五十八次設置されて、新庄もそのために賑わいました。

参勤交代でこの道路を利用した大名は、弘前・秋田・本庄・八島等13藩でありましたから、いかに重要な道路であったかうかがわれます。
南から新庄へ入るには、舟形宿より二ツ屋、鳥越を経て一直線に並木へ行き、途中小さいコの字形に曲がり、すぐまた戻って再び一直線になり清水川町角まで行きます。
北へ曲がり馬喰町、本町、横町、万場町、鍛冶町、茶屋町と進み、ここからまた赤坂まで立派な道路が造られました。

この道路は、新庄藩主戸沢氏が元和8年入部して城下町を作った時から計画されて作られたものだそうです。
このように坦々とした一直線の道路でありますから、参勤交代は勿論、旅人の心を癒すために一里塚が作られました。
また、暑さや雪を考えて松並木が植えられたということです。
さらに距離の目印に一丁(三十六間)毎に杉の木が植えられました。
これを丁杉といいます。

昭和30年代までは泉田から赤坂まで見事な松並木があったそうですが、国道回収工事のため殆ど伐り倒されてしまい、泉田十字路近くに丁杉3本とわずかな松だけが、昔の面影をとどめているだけとなりました。

ところが、2006年8月18日、とんでもない出来事が起こりました。

この日の午後は、激しい閃光と轟音の落雷が幾度となく起こる、大雨となりました。
そして、この羽州街道の松に、落雷したのです。
聞いた話によると、落雷により飛び散った木が、地元スーパーの駐車場に止めてあった乗用車に当たったということです。
なんとも痛ましい姿になってしまった今、一番上の写真も、貴重なものとなるかも知れません。
それにしても、残念です。

まかどの地蔵へ

農業大学校のポプラ並木