<新庄写真館>

義経伝説ゆかりの地

<八向楯>
八向楯は最上川右岸の八向山山頂に築かれた中世の城(楯)です。最上川の方に突き出た尾根筋を二重・三重に断ち切って、本丸・二の丸・三の丸の郭を区画し、それぞれの境に薬研(やげん)掘りの二重の深い空濠(からぼり)を設けています。

本丸の南側は最上川に面した高い断崖で、この脚下を洗う激流によって、かなり浸食されています。

各郭の東西の両側は深い谷に囲まれている堅固な楯です。

<矢向神社(矢向大明神)>
本丸南面の白い断崖中腹に祀られている矢向神社は、平安時代前期、貞観16年(874)の昔、政府から従五位を授けられた式内社「矢向神」とされ、古来、最上川を上下する舟人の信仰が厚く、同時代末、文治3年(1187)、兄頼朝と対立した源義経は、舟で最上川をさかのぼり、本合海で上陸して奥州平泉に向かいましたが、この時義経も「矢向大明神」を伏し拝んだと「義経記」に記されています。

<判官神社>
兄頼朝に追われた義経一行が、平泉に逃げのびる途中「亀割峠」の登り口まで到着し、ここでしばしの休憩をとったとされることから、ここの地名に「休場・やすんば」と名前がついたと言われています。
一行が休んでいる討ちに誰か一人いないことに気が付き、見ると大男の弁慶がいなかったということです。弁慶は、長旅に疲れて途中でうとうとと眠っていたため、その場所を「うと坂」と呼ぶようになったということです。
ここには義経を祀った「判官神社」があり、今なお安産の神として広く信仰されているということです。
中には腹帯が数多く収められていました。
また、弁慶握ったという石も祀られています。

<弁慶の握り石>
弁慶が強く握ったためでしょうか。人の手の形にくぼみがありました。

<亀割峠>

亀割峠の登り口です。

一行が険しい山道をよじ登り、いばらの道を切り開きつつ

峠の頂をようやく越したところで、急に北の方が産気づき、男児を出産されたといわれています。
(左は新庄 右は最上町へ)

弁慶が産湯を探して谷川に下ったところ、川辺に湯煙を見つけ、ナギナタで岩を割ったところ温泉が出てきたと言われます。これが今の瀬見温泉という言われています。(頂上から瀬見温泉を眺める)
亀割の亀はめでたい名前であることから、生まれた和子に「亀若丸」と名付けたと言われています。
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