<とっておき>

曙町誕生秘話

新庄市で一番賑やかな飲食店街である「曙町マーケット」
多くの飲み屋さんがあり、ここで飲んだことの無い人はいないでしょう。
そんな曙町マーケットがどうしてここに出来たのか、どうしてこんなにも多くの飲食店があつまっているのか知っていますか。
ここでは新庄市の歴史の1ページを飾った「曙町誕生」のお話しをします。

敗戦直後の物資不足の混乱の中、闇市はいたるところで自然に発生しました。

新庄の闇市場は、敗戦直後、元の大正小路(現在の中央通り商店街)にできたのが最初です。

すなわち、元の雷音堂(らいおんどう)が空襲に備えて強制疎開させられた跡に店小屋が作られにぎわいました。

「リバティ=マーケット(自由市場)」の看板がかけられ、昭和21年には本格的な闇市場になりました。

ところが、その闇市場は十字屋の店舗建築のために、雷音堂跡を立ち退くことになり、
駅前の荘内銀行のところに移りましたが、当時駅前はよくありませんでしたので、南本町に露天を開くことになりました。

その当時は秋田県の湯沢などからも買い物客が来るほどで、縁日のように賑わったということです。

この南本町も道路が狭くて、しかも国道であったために、またもや立ち退きを余儀なくされます。

昭和25年には、現在の市役所前から角の斉藤医院を回って駅前に至る「曙通り」(これは公募による名称だそうです)に60軒余、
馬喰町から現在の県立新庄病院への通りに30軒余、
2箇所合わせて96軒の露天が軒を並べるようになったそうです。

これもまた、昭和29年、都市計画や不法占有の問題などの理由で、露天商の撤去命令が出されました。

当時の露天商組合長は、100人近い露天商の生活にかかわることから、その解決に奔走しました。
そして、撤去期限の新庄祭りの終わる8月31日までに立ち退くことを約束して、代替地を請願しました。

その結果、現在の若葉町=通称「曙町」の土地(マーケット敷地)が当てられました。

しかし、その条件は1軒あたり3坪、しかも3年間の期限付きということで問題が紛糾したそうですが、
96軒を62軒に絞り、結局1軒4坪として、1階を店に2階を住宅にすることでまとまったそうです。

こうして、曙町が若葉町に誕生して、当初は衣料品や日用品の店、飲食店など様々な店があり繁盛しました。

しかし、物不足の時代が終わると、曙町は居酒屋などの飲食店の町としてにぎわうようになりました。

こんなお話を知る経営者も少なくなっていると思いますが、たまにはこんな話をおつまみにして飲んでみるのもいいかもしれませんね。

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