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(中野さんからいただきました)



新庄の映画館の話題、懐かしく拝聴(拝読か)し、
いろいろ思いださせて頂きました。
戦前、小・中(旧制)学校では、映画はキツイご法度でした。
どうしても見たいものはマントを頭から被って見ていました。
鞍馬天狗、英雄峠・・・古い! アラカン、バンツマ、ハヤチョウ・・・
小学校のときは「カツドウ見」といってました (笑)

しかし、これでも弁士付きの無声映画はさすがに知りません。
でも話しには聞いていました。
「春や春、春南方のロ〜マンス、アントニオ、エンド、クレオパトラのものがたり
これにて映画1巻のおわり・・・」
(は、は、は、めちゃくちゃですね。しかし私もこんなに古くはありません)
無声映画では、女性はメリーさん、悪漢はジャックと決まっていたとか (笑)
小学校では学校所有の古いフイルムがありそれを全校生が見るのが楽しみでした。
体操場を暗幕で囲い、先生が弁士さながらの熱弁を振るったものです。

戦後ご法度が解け、堰を切ったように映画館通い。
洋画には完全にカルチャーショック。
「心の旅路」「誰がために鐘は鳴る」「我が道を行く」「少年の町」「パリの屋根の下」
「ペペ、ルモコ」「カサブランカ」「ローマの休日」・・・、数え上げればキリがない。
「哀愁」などは5〜6回も見たでしょうか? ああ、ビビアンリー・・・
あの頃のモノクロ映画に心が残ります。
カラーを初めて見たのは確かソ連映画の「石の花」でした。
(ローマの休日で見たライターカメラを何とか探して買ってしまった!
16m/mフイルムを縦半分に切って、マガジンに詰め皿現像する奴だった)

最盛期にはおっしゃるように4つの映画館がありましたね。
私は何故かセントラルにはあまり行った記憶がありません。
3本立てともなると終わるのが12時近かったような?
帰りに一葉でラーメンを食って・・・

就職してからは職場の売店に各館の「共通券」と云うものがあり、
懐は空っぽだったが給料日払いでOKでしたので、
映画見に不自由はしませんでしたなー。
しかし、とうとう顔パスとまではなりませんでした。