<とっておき>

新庄市誕生

平成の大合併ということで、全国で市町村合併が進められています。新庄市も当初は最上8市町村の合併を目指し、その後舟形町との2市町の合併を目指していましたが、最終的には最上8市町村がそれぞれが自立してまちづくりを進めることとなりました。

それ以前に、今の新庄市が新庄町から新庄市となるためには、町村合併を行ってきました。
ここでは、新庄市誕生にまつわる町村合併のお話をします。
(尚、新庄市史を参考とさせていただきました。)



当時、新庄町は「町」でありましたが、戦前から県内4市に準ずる町として、県政の上で特別な扱いを受けてきました。(「4市1町」の称があったそうです。)

「新庄町に市制を」の構想が生まれたのは、終戦間もない昭和21年春のことでした。
当時のことを、3月9日付の山形新聞は、「大新庄計画 稲舟村を併合」の見出しで、「新庄町に隣接する稲舟村を吸収合併し、大新庄市を建設する案が最近有識者の間で論議され、かなり真剣に研究が進められている」と報じられています。
稲舟村が合併の対象になったのは、両町村が合体すれば人口3万人以上となり、かつ都市的形態を備え、その他市制施行上の法定要件等が可能になることからでした。

新庄・稲舟両町村は、従来より学校組合を結成し、また社会施設の共同利用など密接な提携関係にありました。
それでも、いざ合併ということになると簡単には進捗せず、合意形成には紆余曲折がありました。
特に稲舟村で問題としたのが合併形式で、ついで市制施行に伴う諸条件の整備と、それと村民の負担増への危惧でした。
合併と市制施行問題は両町村に設置され、2案が検討されました。
一つは新庄町に稲舟村を吸収すし大新庄町を形成し市制施行認可を得るパターンで、もう一つは両町村を同時に消滅させて新たに市を設置するパターンです。
吸収合併する場合は、併合される稲舟村の合併条件が大きな問題となり、解散合併の場合は任期を3年も残した新庄町の特別職や町会議員の公選が必要という問題がありました。
解散か吸収かの合併形式をめぐって協議会は容易に結論を得ず、しかしながら両町村の懸命の努力によって吸収(編入)合併で合意に達しました。
そして、昭和23年10月、それぞれの議会において合併が議決されました。



昭和24年(1949)4月1日、山形県で5番目、全国で229番目の市として「新庄市」が誕生しました。当時の人口は30965人でした。初代市長は当時町長だった松田久蔵氏が就任しました。

市制祝賀会は5月1日から5日に渡り行われ、新庄市民歌と新庄市章の募集が市と山形新聞社の共催で実施されました。
市民歌には県外からの応募31編を含む271編の応募があり、山梨県から応募した安藤壮一さんの作品が入選しました。
市民歌は鉄道が交差する交通の要衝新庄、名所旧跡に富む城下町新庄、そして新興都市として飛翔せんとする新庄が謳われています。

市章には306点の応募があり、山形市の村田芳美さんの作品が入選しました。
雪の結晶で外郭をかたどり、その中に「新」の地を巧みにアレンジした図案です。

どちらも昭和24年、5月30日に制定されました。

5月1日午前中に行われた市制祝賀記念式典では、市民歌及び市章入選者の授賞式に続いて、第2高校生徒(現在の新庄南高校)による新庄市民歌の合唱がありました。
午後には新庄映画劇場で素人のど自慢大会があり、東北6県に中継放送されました。
祝賀行事は5日まで行われ、仮装行列、市民運動会、花火大会、選抜野球大会、消防演習など多彩な行事が行われ、連日賑わいを見せたと言うことです。

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